30キロダイエットで見返してやる。 8
ダイエット編〖まとめ〗愛や感謝を“知ってる”だけで終わらせないために
※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。
つくづく思うんですよねー。
人の心って変わっていく。
成長もするし、思いの変化にも気づく。
○×ではなくやはり「たった今」を生きるために
その時思った氣持ちを本当に大切に綴りたい。
自分史だけではなく、ブログを書きながら、
改めてそれを感じています。
さて。
2015年に書いた2011年に起こったことの自分史☆
「ジムへ行こう!女性性大開花への道」を再アップしてきました。
このジムのトレーニングね。
本当にちょっと過酷なものをやっていました。
〇イザップじゃないけど、似たような感じじゃないのかな。
自動車事故が発端になったのかもしれないし
ジムで(年齢のわりに)頑張りすぎたからなのかもしれないし
あたし、実は保育士時代一人で畳を運んだりしてて
(なぜ人に頼まないんだ!w)
当時から無理をすると「首が後ろに曲げれない」っていうことが多かったのです。
旦那への怒りのエネルギーで
さらに首に力をかけすぎ、
まあまあ、自分の「生き方」でこれほど病状を悪化させるっていうのもないんじゃないかなって思います。
この後、パーソナルトレーナーについて
それでもそこそこ頑張ってたけどいろんな身体の仕組みや動かし方を教えてもらう中で
「肩はここ」
ってよく肩の位置を下げられるんだけど
「そんなに下がらんわ」って突っ込みたくなるほど
わたしの肩は
「怒って上がっていた」
という笑える実話。(笑)
いやほんとに
怒りながら生きていました。
そして
その自分の怒りの中に大きな愛があったことを
自分自身が受け取るまでには
まだすこし時間がかかりました。
そんなわたしはヘルニアのおかげもあって
さらに体重を減らし
(あまりよくないね)
なにせ、オシャレできる服装の幅が
「入る服探し」じゃないわよ♪ってね。
ただ、太っててオシャレができないわけじゃなかったんだなあって気づきました。
キレイになりたいと表現することに抵抗があったんだなあ。
・何を着ても似合うといわれたことがない。
・オシャレしても変。
・わたしには必要のないこと。
・浮かれてる。
…っていうのが
当時の私のオシャレに対しての意識。
なんであんなにかたくなだったのだろうって今は思いますが
「いい年してなに浮足立ってるんだ」って
言われるに違いない(誰に)
それが
死ぬほど怖いことでした。
そのころ
エステをしているお友だちができて
「表情筋が・・・・ない!」って言われたことも
随分ショックでした。
えーちょっとまって
もう自分でもこれ忘れてた。
そうやわ。
そういえばこの笑顔は顔筋トレの賜物であったわ。
まだまだ心底笑えなかった頃。
顔の筋肉がピクピクさせながら鏡に向かってたころがあったよ、思い出した。
やっぱりね。
痩せた理由はいろいろあるけど
「女性として生まれたこと」を肝では大切にしたかったんですよね、きっと。
そんな「開花しかけの頃の私」に
忘れらない一つのできごとが起きます。
▼△▼△▼△▼△▼△▼△
2012年のお正月。
ちなみに我が家は喪中。(笑)
毎年暮れから私の妹がこどもたち三人を連れて実家に里帰りしてきていました。
そして、妹が毎年梅田に出かけて買いまくってくるというファッション福袋を買うのに
生まれて初めてついていったんです。
妹は私より五歳年下なのですが
昔からオシャレでスタイルがよくってカッコイイです。
なんでもうまく着こなし、キレイな彼女のことが
昔から羨ましくもありコンプレックスでもありました。
妹は彼女の娘(中学生)を引き連れて
自分のお目当ての福袋をじゃんじゃん買って行きます。
すごい・・・・・
お洋服をじゃんじゃん買うというのも
福袋を何個も買うというのも
私には初めてみること@@←テレビでしか見たことない
で、
そのときにね
わたしもはじめて福袋をひとつ買ったんですよ。
当時好きになってきてたショップの福袋5000円~♪
忘れもしません、ドキドキしました。
浮ついたことアカンって生きてきてて
福袋はあたしにとっては「マジ浮ついてる人がすること」だったりしてたようです。(笑)
でも、うれしかったんですよね。
帰宅すると妹は娘と一緒に
部屋いっぱい使って買ってきた福袋を全てあけます。
そして次々と試着したり、娘に着させたりしながら
自分のもの、娘のもの、共用するものってわけていきます。
組み合わせを指示し、自分流にコーデし
着まわしがどれくらいできるのかチェックする。
そのすばやさったら
感動します。
そしてね
不用な(小さい雑貨やナゾなアクセサリーみたいな)ものは
「お姉ちゃん、それいらんからほしかったらもっていきー」
ってくれるんですね(笑)
(もらってもどう使うかわかんないものばかりなのだけど)
で、そこから
「お姉ちゃんも買ってきた服着てみてよ」
…ってなったわけです。
着てみました。
おとなしめのかわいいワンピースやスカート
なかに花柄のスキニーをあわせたチュニック
当時もうそんなものを着てもいいの?並みのドキドキ感と
やはり嬉しさがありました。
が。
それをみた妹は
「お姉ちゃんってさ、なんつーか
なに着てもなんか、ダッサーイよねー」
と言いました。
(そ、そう・・・・?)
「そうそう、昔からこの子、ほんまやぼったいねん」
「なんとかしたってよ、この子」
(え、母までー?w)
妹はわたしの
お化粧直ししながらさらに言いました。
「あのさ、おねえちゃん。
なにもしなかったらこのままどんどん汚くなるよ。」
「私なんか○○のお化粧品ずっと使ってるからほらめっちゃキレイやろ?」
「お姉ちゃん肌もめっちゃ汚い、どうせ100均のとか使ってるんちゃうんー」
まあまあ、一生懸命痩せてなんとか首の調子もよくなって。
お化粧品の知識なんてのはなにもなかったころ。
仕方がないんだけど
母親と同じ口調の妹。
この二人と一緒にいると、最後はものすごく気分が落ちる。
イヤーな気持ちになる。
自己嫌悪になる。
ものすごく心が折れて帰りました。
そのときも
■妹に対しては
お化粧も始めたばかりだったのでたしかに
「いつもどこをどうしたらキレイに見えるか」を考えている妹とは歴然に差があった。
でもでもだけど
お葬式やなんやらで「かわいそうだったわたし」も少しはきれいにしようと思ってるとこなのにーって思いました。
■母に対しては↓
ちょっとオシャレしようものなら
「未亡人らしくしなさいよ、近所からいろいろ言われないようにしなさい!」とか言ってるのに
妹と一緒になるといつも妹のいうことになんでそんなに同調するの?
あなたに怒られるのいややから地味にしてるのに
一体どっちやねん(怒)
…とばかりに
うつうつしがちだったのでした。
ということで
せっかく福袋で買ったお洋服も
しばらく着る気持ちが起きなかったのですよ。
残念なお正月だこと(喪中ですが)
あれから何年ものお正月が過ぎて
私はあのときの私に言いたい。(笑)
「私の選んだ服だって
結構似合ってたし、かわいかったよね~。」(笑)
「で、言われたくないことは『それは言われたくないねん』って伝えてええと思うで」
って。
それ以前のわたしのようにあのとき
ずるずると元の私に戻っていたら
今も、起こってい来るいろんなことを
母や妹や周囲のせいにして怒りや恨みを募らせて
生きていたのかもしれないよね。
わたしきっと
もどりたくなくて
「踏ん張った」んだね(笑)
今思うとなんだけど
二人が言ったことは
「なにげないことだった」んだろうなって思うのね。
なぜって
その後、母に当時のことを聞いていると
「そうやった?わたし、そんなこと言った覚えないなあ」
ですって。
怒るよ!?(笑)
うん、
昔の私だったらここで本当に怒ってると思う。
そしてそこでまた都合よく
「私はこんなかわいそうな人です」っていう上書きをしたんだと。
母は「キツくて、
ことばで何度も私は傷ついてきた」という
過去記憶がありました。
私はそれでもそんな母に認めてもらいたかったし
褒めてほしかった。
そこでいろんな「わかってもらえないかわいそうな私」を作り続けた集大成がこの2011年に起こった出来事だったのだと
今は思います。
本当の思いは
実はもう誰にもわからない。
母だって忘れてて
わたしだって自分の都合のいいようにしか
覚えてない。
もう、過去になったわからないそのときの気持ちを考えとしたらね。
もしかしたら母は
「ゆうあもちょっとキレイになったほうがいいから
妹のアドバイスに同調しといたらいいかも♪」
だったかもしれない。
なんとなく妹独壇場のその場の流れを損なわずにそこにいたかったのかもしれない。(笑)
そして妹も。
私のことを思って、お化粧なおしなんてしてくれちゃったのだとしたら。
元気になってほしくてわざわざ行ったことのない、福袋に誘ってくれたのかもしれない。
そのときの、
その時点での相手の本当の気持ちはわからない。
そのときに「起こった状況」に自分の感情を絡めて
そこにいつもの思い癖、自分の以前からのマイナス感情をどんどん埋め込んでいって
スポットライトを浴びせたら、ほら
「宇宙一かわいそうなゆうあちゃん」一丁あがりなわけ。
「どうせ、わたしなんてなにしても(妹みたいに)キレイになれないし」
っていう生き方を選択するか、他いくか。
選択したのは誰でもなくわたし自身だよね。
そして。
着たいお洋服を自分で選んで着ることやきれいになりたい自分にOKを出すのはもちろん
自分の思う人生を歩んでいこうっていうことも含め、
変わっていくことも最初はこんなふうに
いろいろ聞かれたり言われたりすることに過敏に反応して
「やっぱやーめた」ってなるようなことが起こってくるわけやねんけど
時間がたてば。
まさかのこうなります。
母曰く。
「あんたは昔からコギレイにしてて、清楚な洋服が似合う子だったよね。」
ええええええええええええっ(;゚Д゚)マテヨ!!
「小汚い」「貧乏くさい」「ブサイク」「かわいくない」
って言われ続けて育てられた(と思ってた)
「私」はどこにいっちゃったんでしょう?(笑)
もうええわ~~~~~(大笑)
80を超えてなお、元気で昔話を語ってくれる母。
わたしはその記憶のパッコリ変化を今ありがたく受け取っています。
△▼△▼△▼△▼△▼
現在に愛を増やしていくと
過去も、未来も変わっていくってこういうことなんだと思います。
学校でお勉強していたことはあんなに忘れているのに
昔からずっと持ち続けている記憶って
ほんとうに「事実」なのかしら?
もしかしたら自分のマイナスの感情を
どんどん勝手に膨らませてつけていっちゃって
「もう絶対に許せない!だからわたしがこうなったのよ!」
と思い込んじゃっているだけなのかもしれません。
それね。
私も変えれないって思っていました。
でもこれは言えます。
両親に愛されていないと思っていたままだったら
私は変われてこなかったと思います。
実は一筋縄ではいかなかったガンコな私は
ここからまだ両親との関係に時間を必要としたのですが
今はね
両親に愛されて育まれた愛が溢れたら
自分が、周りが
変わっていく奇跡を
わたしもこの年齢だけど
体感しました。
「愛が溢れる」っていう感覚ね。
よかった、まだ両親が元気なうちに気づけて。
両親の愛をずっともらい続けていることがわかってから
私は自分が愛の源で源泉だとしたら
絶対に枯れないなって思ってるんです。
「死んだら生きれない」は
この感覚で生きることから私にできる事を
していくことだなって。
もし
自分の思いのままの人生が今、やってきていないとしたら
それは
「知ってる」だけで、実まだ溢れていないだけなのかもしれないです。
溢れる感覚をもし体感して人生を生きたいのであれば
わたしにお手伝いできることがきっとあると思います。
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