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浮世絵 大日本名将鑑 武田信玄

451年前、三方原の戦いで徳川家康を打ち破った甲斐国の武田信玄が三河国設楽郡の野田城を取り囲みました。野田城は徳川家康の国衆菅沼定盈が400名の兵を率いて籠もっていました。一方武田軍は20,000の兵を率いていたと伝えられています。
徳川家康は三方原の戦いの直後で野田城を救えるような状況ではありませんでした。しかし、野田城を見捨てることは出来ず、野田城の近くの旗頭山ままで陣を動かしますが、あまりの大軍に酒井忠次の進言を受け入れ、兵を引きます。
菅沼定盈もなかなかの武将で、兵の疲労を鎮めるため、夜な夜な笛の名手村松芳休に笛を吹かせました。その音は城外にまで届いていました。
その話を聞いた武田信玄も城の近くまで聞きに来ていたようです。城内からその様子の報告を受けた定盈は鉄炮の名手鳥居三左衛門に銘じ、信玄を狙撃させました。
そのときの怪我が元となって、信玄は逝去したとも伝えられており、黒沢明監督の『影武者』の題材としても取り上げられました。

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