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写真の批判はされるべき、というお話

こんばんは。

創作フォトグラファーのゆあです。

今回は写真に批判をされるべきというお話です。

批判や評価を良しとしない日本の写真界隈ですが、私はもっと批判が必要であると思っています。

特に、より自分の撮っているものを良くしたいのであれば正しい批判は甘んじて受け入れるべきだと考えています。

私も正しい批判を求めています。


ただし、世の中には間違った批判が大量に、はびこっていますので注意しましょう。

間違った批判や中傷には耳を貸さなくてよいです。

例えばHIPHOPはdisし合うことで有名です。

ですが前提として相手へのリスぺクトがあります。

リスペクトがあるからdisrespect、つまり批判が成立します。

批判と中傷の違い

大前提として、批判と中傷は違います。

批判とは「良い、悪いを見分け評価、判定をすること」です。

どうしても批判という言葉にネガティブな感情を持ちがちですが、本来は見分けて判別することを言います。

ですので、良いところ、悪いところの両面を写真から受け取ります。

それらを加味して評価付けやアドバイスをするべきです。

中傷は相手の人格を傷つけるためのものですのでこれは当たり前ですがいけません。


「好き嫌い」と「良い悪い」の二つの軸

批判が難しいのはこの問題があるからです。

他人の写真を見て批判するときには

好みである

写真が画として成立している


という2つの軸は分けて考える必要があります。




中には

画として成立していて気持ちが良い→だから好き、評価する。

となる方もいます。


しかし、構図や光がめちゃくちゃだとしても好きな「もの」や好きな「人」が写っていたら、自分が好きな写真になります。

逆に、自分が嫌いな不快なものが写っていればどれだけ技術的に優れていても嫌いな写真になります。

好き嫌いでは正しい批判にはなりません。


感情で批判をする人には耳を貸す必要がありません。

正しい批判は成長を生む

海外の写真投稿サイトを見ていると、フィードバックしてくれる人が多数います。

こことここがダメ。なんてコメントは比較的よくみます。

そんなコメントをしている人はかなり写真のレベルが高く、知識と技術を持っています。

フィードバックを貰った人も数か月後には明らかにレベルが高くなっていくのを見たことがあります。

写真を本当にうまくなりたいのであれば、正しい批判が本当に大切だと思います。

また相互いいねや、馴れ合い技術を下げる原因だとも思っています。

批判を求めていない人もいる


批判を求めていない人もいることを忘れてはいけません。

「趣味で好きにやりたい」

「いま撮れているものに満足している」

そのような人への批判はお節介、余計なお世話ですので当たり前ですがやめましょう。

まとめ

写真を正しく批判できる人が日本には少なすぎるので私は困っています。

別の芸術を勉強した人やデザインができる人に、写真を見せて批判をもらうのが良いのかなぁなんて考えています。

批判やフィードバックがもっと盛んに行われる日本になればより、国内の写真技術が上がっていくと思うのですが...

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