涙が出るほど



歳を取ると涙脆くなるとはいうけれど
心で何かを感じ取るというのは
歳を取るほどに鈍くなっていくように思う

様々なことを経験していくうちに
昔はすぐカッとなっていたことも
ショックを受けて落ち込んでいたことも
我慢できるようになり
それほど気にならなくなる

同時に何かに対して感動するということの
ハードルも上がっていく気がする

昔好きだったアニメやマンガを見ても
しっくりこなかったり
ドラマを観て感動するということも
昔より随分減った気がする

慣れというのはもちろんあるが
様々なことを体験していくうちに
おおよそのパターンが
わかるようになってしまうことも
1つの要因ではないかと思う

"ここでこう言うだろうな"が
なんとなく予測できてしまって
実際にそのセリフを言われると
思わずため息をつきたくなる

そんな中でも時々、心から感動し思わず涙が出てしまうような体験をすることがある

私はとある声優さんのライブに参加した
アンコールが終わり
今回のライブの表題曲が流れる中
"本日のイベントは終了致しました"
というお決まりのアナウンスが流れる

通常だとここは皆席に座り
帰る準備をするところだ
というかしなければならないところだ
にも関わらず
誰も座らないどころか表題曲に合わせて
ずっと手拍子をしているのだ

今回のライブは収容率100%で
声出し不可であった
本来2年前に行うはずだったものだが
その声優さんが歌手活動停止を
公言していたこともあり
皆んなで声が出せるようになるまで
ライブはしないということになっていた

だけどあまりにも時が経ち過ぎたため
やむなく今回開催することになった

以前のライブでは
この帰り時間に表題曲が流れた際
ファンのみんなで歌っていた
SNSで何か打ち合わせをした訳ではない
ただただライブに対するリスペクトの気持ちから
想いが溢れてしまってのことだった

だが今回は歌えない
だけどリスペクトの気持ちは同じ
いやそれ以上だった

だから思いの全てを
手拍子に込めたのだと思う

楽しかった気持ち
ありがとうの気持ち
まだ帰りたくない、終わってほしくない気持ち

そうして、曲の音が小さくなったとき
声優さんとバンドメンバーが袖から現れた

思わず漏れる微かな悲鳴

予定外のダブルアンコールとなった

その声優さんは
周りの大人は焦っているけど
俺は嬉しいと言った

アナウンスに従わなかったことに
賛否両論はあると思う
だけどこんなにも心が動く体験は
そう何度も味わえるものではない

私は昔ドラマを観ていて
号泣してしまったときに母に
"あんた入り込みすぎてて
ちょっとおかしいよ"
と言われたことがある

今でも思い出すと心が苦しい
何かにのめり込むというのは
おかしいことなのだろうかと
当時自分を顧みたけれど

今は思う

のめり込んで何が悪い!

涙が出るほど心動かされる体験を
大人になって何度味わうことができるだろう

私は今それを体験できる豊かな心を持っている
それってちょっとラッキーじゃない?
なんて思うのだ




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