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ストップモーション映画を作っていた14歳の夏。

先週末、僕は実家にいた。
部屋に残したままのガンプラやフィギュアを、東京の4畳半へ持って帰るためだ。

ガンプラが入っている棚は、母がビニールを被せて保管してくれていた。


母に優しさに涙がちょちょぎれながら中を見てみると…覆われていたとはいえ中々の量のホコリが…。それもそのはず、僕はもう中学生の時から実に6年以上もの間、ガンプラに興味を失い触っていなかったのだ。

1つ1つモビルスーツを取り出し磨いて行くと、飛んでいくホコリと共に色々な思い出が蘇ってきた。
今回はその事について述べて行く。

【上京する時の話】「このプラモ…どうする?」


中学生の時に集めに集めまくったプラモやフィギュアをどうするか、いつも僕は考えないようにしていた。

大学合格を機に上京する時、直前まで引っ越しの準備をサボりにサボっていたせいで、出発前日にドゥワーッと最低限の荷物を詰めることになった。どれくらい最低限かと言うと、部屋を見た祖母が「これが明日出て行く人の部屋かねぇ…」と発したくらいだ。

その際に「あんた、ガンプラはどうすんの」と母に聞かれたのだが、「帰省して整理するわ~」とそれっぽい曖昧な言葉で判断を先送りにした。
結局帰省しても「次に来る時までに考えとくわ~」と先送りの繰り返し…鱗滝さんの平手打ちが飛んでき来そうだ。

そんな中、知り合いの紹介でフリーランスの3Dモデラーさんにお会いする機会があった。製作中のゲームでモデリングを本格的に始めた旨を話した所、面白い人だから会ってみる?と言われたのだ。

いざ会ってみると凄く気さくな方で、僕のいう事に何でも「いいね~」と言ってくれたり、改善案がないか親身に相談に乗ってくれたりもした。
『機動戦艦ナデシコ』について熱く語り終えた後、ふと

「君、フィギュアとかは集めてる?」

と聞かれた。
「いえ…部屋のスペースも狭いですし、いたずらに物を増やしたくないので…」
と返すと

「う〜ん、それは確かに良いことだと思うよ。
でもね、仕事柄たくさんのゲーム開発者さんと会うけども、みんな結構そういうの集めてるんだ。やっぱりこの業界に入る人は何かしらのオタク趣味があるからね。」

「で、それが何だって思うかもだけど、やっぱりさ、玩具からしか得られない事ってあると思うの。僕の場合は専門学生の時、モデリングの課題が出たら家にあるフィギュアを思い出しながら、ここはこんな感じに見えてたな…ってやってた。そういう“立体物に対する感覚”っていうのかなぁ…そういうのは、やっぱり色々見てる人には敵わないからねぇ。」

「それで怖いのがさ、趣味で集めてた人がいざクリエイティブの道に進んだ結果、長年培ってきた感覚が天才の領域に入っちゃってる場合なんだよねぇ。努力せずに磨いてきたセンスっていうの?そういうのって、小手先の勉強では叶わない気がするんだよね」
「別に机の横に置いておくだけでも良いのよ。時々作業の合間とかに眺めたり、触ったりして。それだけでも、かっこいいポーズや見せ方のセンスも磨かれるしね」

放置していたガンプラたちに、ようやっと存在意義を見出してあげることができた…
善は急げ、授業のない週末を狙って夜行バスのチケットを買い、実家に戻ったのだった。

【僕はティム・バートン監督に憧れていた】


掃除中

ガンプラを掃除しながら、中学時代を思い返していた。暇な時間を全てコマ撮り映画に捧げていたあの時を。

幼少期に繰り返し見たティム・バートン監督のストップモーション映画『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』や『コープスブライド』の影響で、ストップモーション作品を作りたい欲が溢れていた僕は、ガンプラを作って自分のガンダム映像作品を作っていた。

当時はお金もないので、少ないお小遣いを貯めて部活終わりに近所のプラモデル屋に行き、安くてカッコいいHGを買って役者を集めた。
全10話構成で、各回5~10分。脚本を学校の授業中に書き進め、絵コンテは先生にバレて問題になったので流石に家や図書館で作るようになった。確か修学旅行の新幹線の中でも、周りがトランプやUNOで盛り上がるのを他所に作業をしていた。

絵の上手い友達と一緒にキャラクターを練り、立ち絵を描いてもらった。誰かと一緒に物を作る興奮を、この時初めて知ったように思える。

母親のカメラを譲ってもらい、三脚を買った。
背景のミニチュアも作らなければならない。精巧な都市やリアルな森のミニチュアを作れる技術もなかったので、簡単な画用紙を背景に、カタパルトはプラレールを100均で買って代用した。とにかくお金がない僕は、工夫を重ねて最善を尽くしたのだ。

いざ撮影を始めてみると、想像以上に難しかった。
1度でも衝撃か何かでプラモがずれると、そのシーンは最初から取り直し。1日かかって進んだシーンはたったの30秒という時は、「もうこんな事辞めてやる!」とヤケになった。若さゆえの過ちだったと思う。

撮影が終わった写真をpcに取り込んで加工する作業は1番苦痛だった。主にビームサーベルやスラスターの光を、1枚1枚手書きで進めていた。
今思えば、とりあえず動画にしてからエフェクトを加えればええやんと突っ込まざるを得ないのだが、まあ…これが凡才中坊の限界だったのだ。

ちなみにその映像作品は完成しなかった。そもそもこの作業量を10話分1人でやること自体が無計画であったのと、部活や受験に追われるうちに自分の中の炎も消えていった。

「せめて1話だけでもネットに公開しておけばなぁ…」と、懐かしさと後悔が入り混じった思いで梱包を終えた。

【実際に見てみよう!】


当時使っていたpcを起動すると作りかけの動画が出て来たので、供養も兼ねて折角だから実際に見てみよう!


うわあああ!!
ネットに公開しなくて良かったああああああ!

何だこのチープな映像!?
動きも不自然だし、効果音も作りかけとはいえダサいし…
こんなに酷かったっけなぁ…と苦笑してしまった。

当時はこれで

”突如現れた奇才のストップモーション監督”
”これがガンプラの新しい道”

と話題になる妄想を膨らませていたのだ。いやはや、中学生の時に作った作品って、何でこんなにも見返すと恥ずかしい気持ちになるのだろう(笑)

他にも設定やストーリーをまとめていたノートを見つけたのだが

ダッサ(笑)
何だか、いかにも ”中学生が自分の雑魚っぴボキャブラリで最大限にカッコいい単語を抽出しただけ” みたいなネーミングだ…

ス、スーパービジョンズ(笑)
確かあれだ、海外ドラマの『スーパーナチュラル』にハマってたからだと思う。

ちなみにこんな感情になったのは僕だけではない。当時イラストを担当してくれた友人に
「懐かしいものが出てきたぞ!」
と設定イラストを見せたところ

「……ヘッタクソ…」
と死んだ魚の目で呟いた。レトロの味が効いた上手い絵だと思うのだが、本人としては納得がいかないらしい。

でもキャラクターのネーミングは今見ても悪くなかったと思う。
ガンダム作品に登場するキャラクターを元にして名付けたのだが、例えば

・カミーユ・ビダン→髪結美団(かみゆい びだん)
・ファ・ユイリィ→風亜由利(ふうあ ゆり)
・フォウ・ムラサメ→紫雨秋穂(むらさめ あきほ)

こういう既存作品を少し手を加える事が今でも好きなので、まあ、やるじゃないかと少し悦に入った。

スーパービジョンズのダサさは消えないけどな!!

【さよなら、ゆあん監督】


映像を仕上げられなかったことは、ガンプラの始末をどうするかと同じでずっとモヤモヤと心に残り続けていた。
それを今回、こう言った形ではあるが少しでも世に公開できて、中学生から止まっていた何かを動かせたような気がする。何だか晴れやかな気分だ。

プラモは、武器やオプションパーツを入れた容器が見つからなかったので、取り敢えず全パーツが揃っている物だけを持って帰ってきた。今は作業机の側の棚に大切に飾っている。うん…やっぱり良いな、ガンプラって。
ちなみに、クリーチャーのモデリングに役立つと思ってモンハンのフィギュアも一緒に連れてきた。

ところで、イラストを描いてくれたその人なのだが今はどうしているかというと、一緒にノベルゲームを作っている。
成長した僕らのゲームがどうなるか、期待して頂きたい。

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