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人間の性(さが)とは、こわいものだ。
というか、呆れるほど、どうしようもないな、と思う。

友人Hさんが亡くなった、の訃報から1日。
とにかく交遊範囲が広いHさん、おそらく家族の皆さんはどこまでその網が広がっているのか、見当もつかないのだろう。
残された証拠を辿って、一番関係が濃そうな人に連絡をとり、
そこからこの悲しい情報が関係のある人々へ早く伝わることを願って、奔走されているのだと思う。

その第一の階層に自分がいないことを、どこかで、悲しみの底にいながらも、
どこかで、
第一の階層にはいないのか…と、少し、がっかりしている自分がいるのだ。
呆れる。

そして、
”誰が一番親しかったか”のマウントを取ろうとしている人は、
第一階層にいる人々の中にも、どうやらいるらしい。

私の友人に、Hさんの息子さんが連絡されて、
不明だった葬儀の詳細が判明した。
その友人が、ここに言えばきっと広がるだろう、と思われる“濃い”人と私を連絡先に入れて、
皆さんに知らせてください、とメッセージを送ってきた。

彼の人から「皆さんには連絡済み」
の返答とともに、
「ご家族から直接連絡をもらってます」
のひと言が付記されていた。

こんな時にさえ、亡くなった友人を悼む時にさえ、
第一の情報に誰が触れ得るのか、を、競争しているように見えた。

つまりそれは、私自身が、そう思っているから、そんな風に彼の人の反応を捉えてしまうのだ。

情けない。
あさましい。

文字どおり、涙の海になりそうな自室で、
自分のサガを突きつけられた気がした。

追記:その日の夜、友人の奥様から葬儀を知らせるお電話をいただいた。我ながら恥ずかしい。


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