🍸〜いつものバーで、マスターが私の為に作ってくれたカクテル《うふカクテル》を〈ここで〉一人味わう瞬間〜が好き〜マスターの優しさと、私自身に逢う為に---。
いつもの馴染みのバーで、私はいつものようにカウンターの端の椅子に座っている。
今は、マスターが私の為に作ってくれるカクテルを、一人味わうのが好きだ。
ビルの地下にある、ダークなブラウンでまとめたダンディーな店。入り口はちょっと狭くブラウンの重いドアを開けると、カラン、カラーンと鳴る。
店は、広くもなく狭くもなく、木製の木目がお洒落に入ったダークなブラウンのカウンターに椅子が五つ。テーブル席が二つあるが、テーブル席には殆ど誰も座らない。
なぜかと言うと、殆どの客は、ここのマスターが好きで来るからだ。
年の頃なら50代、いや60歳ぐらいだろうか。白髪が綺麗に混ざった、後ろに流したショートの髪が色っぽい。顔は、やや面長で確かに渋い、いい男だ。
マスターの名前は知らない。
みんな〈マスター〉と呼んでいる。
いつも、白いワイシャツに、黒にあまり目立たない細かいシルバーのストライプのラインが入ったベスト、それにダークブルーの蝶ネクタイがマスターのお決まりの姿。
殆どの客は一人で来店する。
カラン、カラーン。
多い時でも、三人ぐらいしか居ないバー。
そんな店に、私が入ったのは一年前。
もう、そんなに若くはない私が、ちょっと身体を壊した。
〈お酒はもうやめよう〉そう思っていた時だった。
何故なら、私はその前後に大切な人を失くしていた。だから、身体というよりは、大切な人を失くした喪失感からお酒をやめようと思った。
別に、お酒で淋しさや悲しみを誤魔化すタイプでも無かったから。
そして、特別お酒が好きとかでも無かった。そう、どちらかというと付き合いの為に飲んでいたけれど、それでも〈お酒〉とそのお酒を飲む場所という雰囲気が好きだった。
それを、やめようと思った。
そんな時に、このバーの前を通った私に、たまたまマスターが入り口に居て私を見て頭を下げたのだ。
--- えっ。
ちょっと驚いたけれど、私も自然に頭を下げていた。
「あの、お店は何時からですか」
私は、ふらっと聞いた。
「今から、開けますよ」
--- えっ?。
まだ、明るい夕方。
--- これから?。もう?。
こういう店は、暗くなってからかと思っていたから。
「あの、飲めますか」
私はまた、何を言っているのだろう。
お酒はやめようと思っていたのに。
「どうぞ」
その優しい言葉に、私はふらふらと店に入って行ってしまった。
マスターは、カウンターに入って優しく立っている。
私は、五つあるカウンターの椅子の入り口寄りに座った。
「あの、実はいろいろあって、というか、実はお酒はやめようと思っていたんですが---」
--- 私は、何を言っているのだろう。
「カクテルは好きですか?」
マスターが聞いて来た。
「はい」
すると、マスターが
「私に作らせて貰えますか」
「えっ」
そんな私に、マスターが優しく微笑んだ。
私は、何だか催眠術にかかったかのように、ただ頷いている。
そして、マスターが出してくれたカクテルは、名前の無い初めてのカクテルらしい。
優しいオレンジ色に、微かに白とパープルが混ざっているお洒落なカクテル。見た事がない。
「お名前は?」
マスターが突然私に聞いた。
ちょっと困っていると。
「ここでの名前ですよ」
そう言った。
--- なるほど。
私は、そしてこう言った。
「うふっ。悩みますね」
すると、マスターが
「〈うふっ〉ですか。では、このカクテルは〈うふカクテル〉にしましょう」
そう言って、このカクテルに名前を付けてくれた。
「〈うふカクテル〉?。マスター面白いですね」
そう言って一口。私はカクテルを静かに味わう。
「う〜ん。優しい、美味しい」
そう言う私に、マスターはそっと微笑んだ。
それでもマスターは、殆ど黙っている。
私は、ゆっくりゆっくりその〈うふカクテル〉を味わっている。
その時間が、ただただ優しい。
大切な人を失くした事も、身体を壊した事も今は忘れていられる。
そして、マスターがこう言った。
「アルコールは入っていませんから」
「えっ!」
私は、思わずマスターの顔を見た。
「お酒をやめるのでしたら、いろいろな事情がお有りでしょう。無理にお酒を飲んでは身体を壊しますよ。このカクテル、お酒みたいでしょう。身体に優しいですよ」
アルコールが入っていると思えるようなカクテルだった。
私は、何故か涙が溢れた。
その、マスターの優しさに。
--- なんていう人だろう。お酒をやめようとしながらも、まだ、やはりバーやお酒の場所は好きな私をわかっているのだろうか。理由も聞かず。そして、そんな場所で癒やされたかった私をわかっていたのだろう。
それが優しく嬉しかった。
言葉は、時に誤解や余計な悲しみを生む。
癒やしよりも、苦痛にさえなる時がある。
私が、涙を溢しても、マスターは黙っていた。
他のお客さんは、私が居る間は誰も入って来なかった。確かに早い時間だからだろう。
それから、1時間ぐらい居ただろうか。特別、会話も無く。
「美味しかったです」
私は、そう言って会計をしてドアに向かった。
するとマスターも、ドアに向かう。
--- 見送ってくれるんだ。優しいマスター。
そう思った。
すると、マスターがドアを出て、ドアに《Close》のプレートを掛けた。
「えっ」
「開店は夜の8時なんですよ」
「えっ」
「また、来て下さいね。お待ちしてます。あのカクテルは他には誰も飲みませんから。逢いに来て下さいね」
そう言って、マスターは優しく微笑んだ。
--- カクテルに逢いに?。そっかぁ、そうだね。
私が飲めるカクテル。
アルコールをやめた私が飲めるカクテル。
私だけのカクテル〈うふカクテル〉
そうだね。逢いに行こう。
逢いに行ける場所。
大好きなお酒と雰囲気の、場所。
優しい、場所。
この場所を作ってくれたマスター。
それから、どのくらい行っただろう。
あの店に。
相変わらず、会話は少なかったけれど、いつからだろう。私は、マスターにいろいろ話すようになった。大切な人を失くした事。身体を壊した事。その度にマスターは言葉を掛けてくれた。優しく頷きながら。
「そうでしたか」
それだけ。
そして、
「お身体はいかがですか?」
身体の事を気にしてくれる。
そう言われると、身体はすっかり良くなっていた。そして、マスターが、
「少しずつアルコール入れましょうか?」
そう言った。
「はい、お願いします」
私は、笑みを浮かべて言った。
そのマスターの言葉の意味が嬉しかった。
そう、確かに身体を壊したけれど、アルコールが駄目とかでは無かったから。大切な人を失くした喪失感からだったから。普通はお酒に走る人が多いのだろうけど、私はやめようとした。
それで、私は喪失感を誤魔化したかったからだ。
それを、マスターはわかってくれた。
少しずつ、少しずつ喪失感が私の中から消えていくのを。だから〈少しずつ、アルコール入れましょうか〉と言ってくれたのだ。
「マスター、本当に美味しいカクテルですね」
そして私は、時間があればこの店に来ている。
ダークなブラウンの木製の木目がお洒落なカウンターで、無口なマスターを見ながら、大好きなカクテルを味わう為に。
私の《うふカクテル》と、私自身に逢いに来る為に。
〈完〉
🌈☕いらっしゃいませ☕🌈コーヒーだけですが、ゆっくりして行って下さいね☘️☕🌈