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「言葉にしたら陳腐なものになってしまう」VS「言葉にしておかないと忘れてしまう」と向き合い、最近わたしは言葉を残す派ですという話

この気持ちをうまく言葉にできない…言葉にしたら、
思い出が陳腐(ありふれていて平凡)なものになってしまう

VS

言葉にしておかないと、思い出を忘れてしまう

みなさんの中に、この2つの相反する感情が生まれることはありませんか?

わたしは、あります。何度も!!!

例えば、先日行ったチェコで、綺麗な景色を見て的確に記憶しておきたいのに、自分から湧き出る言葉は、「綺麗だ」「ディズニーみたい」「絵本の世界」といった感じで、悔しくなるほど薄っぺらいものでした。

一方で、学生時代に散々目にしたエビングハウスの忘却曲線を思い出して、時間が経てば経つほど人は思い出すことに時間がかかるようになる(思い出す時間がかかるくらい、人は忘れる)と解説されているし、言葉に残しておかないと、思い出を忘れてしまうかもしれない…そんな気持ちにもなりました。

結論、最近のわたしは、陳腐になったとしても言葉を書き残したいと思う派になっています。
なぜそう思うのか、そしてこの問いを整理するきっかけになった出来事を記してみます。


🔸わたしが思う、書き残すことの効果

①書く前:気づきや疑問が浮かんでくる

書こうと思うと、何かに気づこうとするようになる。
注視すると、新たな疑問が浮かんでくる。

②書いているとき:気持ちがスッキリして楽しい

頭の中を整理できると、気持ちがスッキリする。
書き始めると、自分が知らないことを認識できる(無知を知る感覚)。

③書いたあと:思い出すことに役立ち、他者へ共有できる

振り返って読んだ時、あのときの気持ちを鮮明に、細かい部分まで思い出せる。
ひとつの経験を多角的に見ることができる。「あのときはこう思っていたのね。今のわたしはこんなふうに記憶しているよ」みたいな感じ。
そして、書くことのいちばんの恩恵だと思っているのは、他者と共有できること。

④これを繰り返すと、よい循環が生まれてくる

(1)書く前→書いているとき
気づきや疑問が増えるので、書くことに困らなくなり、楽しく書ける。

(2)書いているとき→書いたあと
楽しんで書くから、文章に感情が宿ると鮮やかな文章になり、見返したときに鮮明に思い出せる。

(3)書いたあと→書く前
書いたあとの文章を読んでみて、「過去の自分はこんなことを考えていたのだな。今はもっと成長していたいな」と、ポジティブな期待が自分にかかるようになる。

このサイクルが回ることで、書き残す内容が濃いものになっていくのではないかと考えています。

🔸言葉にすることのいちばんの効果「他者と共有できる」を実感した話

実は、このnoteを書くきっかけとなった出来事があったんです。

わたしは学生時代に10年間、習字と書道に熱中していて、約3年前、杉並区にある「小杉湯」のとなりにある会員制シェアスペース・小杉湯となりにて、講師として書道の歴史や書き方をお伝えする機会がありました。

この経験が思い出になってきた今年の5月、なんとイベント参加者のまなみさんと別のコミュニティで再会!
人生ではじめての講師役だったゆえに、参加してくださった人たちの顔とお名前を覚えていて(書道は作品に自分の名前を残しますからね)、勇気を出して言ってみました。

「実は、3年前にお会いしているんです…!書道のイベントに参加してくださいましたよね」

まなみさんは心底びっくりしていて、あのイベントが小杉湯との最初の接点だったと教えてくれました。

正直、当時まなみさんとどんなやりとりをしたのか、声をかけたその場では思い出せていなかったのだけど、自分のnoteを見返したら、まなみさんが言葉をくれたシーンが鮮明に思い出されたんです。

「書道教室は何を教わるのかわからない。書き方じゃなくて、こういう面白い書体を知る場所が欲しい」

得意だったはずの書道から遠ざかっていた私が、また字を書き始めた話」より引用

自分がnoteに残したこの言葉を引き金に、参加者の中で最もまなみさんが目をキラキラさせて、楽しかったと感想を伝えてくださったあの日が蘇ってきました。

そして、まなみさんから見たあの日、さらにそこからスタートした日々のことを書いてくださいました。

あの日をきっかけに、こんなにうれしいことが起きていたのか〜〜〜(しみじみ)

イベント終了後、わたしは小杉湯に入り、イベントが終わった安心感と達成感で、うれし涙を流しました。
同じお風呂で、(きっと同じくらいの時間帯で)、まなみさんが別のあたたかい涙を流していたと思うと、なんだか今でも胸がじーーーんとするし、偶然が重なりすぎてちょっと笑えてきます。

わたしにとって、この日は人生が動き出した大切な1日になっていたし、さらに、また別の人にとって、新たなスタートを切るきっかけになっていた。
それがとってもうれしかった。

同時に、まなみさんが文章にしてくれたおかげで、あのイベントを別の角度から見ることができた。
そして、わたしが文章に残していたから、あのときの気持ちを相手に伝えることができた。
わたしの頭の中で完結してしまっていたら、こんな気持ちにはなれませんでした。

これが、どんなに陳腐だとしても、言葉に残したほうがいいなと実感した出来事です。

🔸書き残す言葉が陳腐なものになってしまう葛藤とどう向き合うか

ここまでは、書かないより書く方がよいと思うという話をしてきましたが、「書き残す言葉が陳腐なものになってしまう」という悩みは、現状解決できていません。

…これはもう、ひたすら書き続けるしかないと思っています(突然の根性論)

しかし、気合いだけではどうにもならないかも…と立ち止まりそうになっていたところ、言葉にすることを後押ししてもらえるnoteを拝読しました。

センスがある人には観察力があり、その観察力は世界を見る解像度の高さに由来するため、観察力を鍛えるためには言葉にすることが必要だ。

『観察力』を鍛える唯一の愚直な方法より、わたしの解釈

見ているようで見ていないことを自覚し、比較する材料を蓄積する必要があるのだな。
そうだそうだ、わたしは海外旅行に行った際、言葉にするためには知識が必要だと痛感したのだからやるっきゃない(知識で見るものを決めつけるのはちょっと違うってところもまた難しい気がするのだけど)。

あれこれ思考したおかげで、今は胸を張って「言葉を書き残すぞ〜」と思えています。整理できてよかった!

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