にしてりあ~仁志島カフェ日誌~Welcome to Island Cafeteria!#1
あらすじ
日本列島の一部にある新興地『仁志島』。
その一角に住む女性・保村里桜は、学生時代の夢であった喫茶店『にしてりあ』の経営をはじめようとする。
夫の裕一(ゆういち)や教え子の伊野瀬孝実(いのせたかみ)の力を借りて準備を進めるが、何者かによって店舗を荒らされてしまい……。
街角の小さな喫茶店を主な舞台に、ありそうでなさそうな若者たちの青春を描く。
第1話『にしてりあ事件簿』
「里桜。この飾りは、どこにつける?」
「出窓に引っ掛けて。できれば上側」
茜色に染まった空と、波音がはずむ仁志島の一貫校、仁志島学園。
その隣に建つ小さな喫茶店『にしてりあ』を近々開こうと――3人の若者たちが、せかせかと動いていた。
「あらやだ! 小麦粉とバターが切れちゃってた~」
「そういえば昨日、実験で使ったんだったか」
「そうなのよ。うっかりしてたわ……」
ダイニングに立っていた保村里桜は落胆した。
すぐそばにいた夫――保村裕一は「見立てが甘かったな」と苦笑いを浮かべている。
「里桜先生。電気系統のチェックできましたよ」
「孝実くん。お疲れ様」
今度は高校生くらいの少年が、制服のネクタイを翻してやってきた。また「どうかしましたか?」と困ったような顔もする。
「ごめんね。お菓子を作る材料が足りなくて……」
「なんだ。そういうことでしたか」
里桜が事情を説明すると、伊野瀬孝実がおかしげに微笑む。
「じゃあ、明日あたりにも届くようにしますね」
「助かるわ」
仁志島きっての御曹司からすれば、甘えてほしかったのかもしれない。
ただ、里桜たち大人としてはそうする訳にいかなかった。
「オレはここで待ってますから、ごゆっくり」
「悪いな」
「行ってきます」
孝実に店番を頼んで、里桜は裕一と共に出発した。
ふたりが近所のスーパーを抜けると、雲ひとつない夜空が広がって見えてきた。
「ごめんなさい。終夜付き合わせちゃって」
「構わないさ。こんな機会、滅多にないからな」
里桜は裕一に声をかける。裕一は怒るどころか、楽しんでいるようだった。
「しかし、本当によかったのか? 非常勤になって」
「うん」
ふとした裕一の問いに、里桜は頷く。自分にとっての正解は『今』にあるからだ。
「……あなたを裏切るようで、申し訳ないんだけど」
里桜が小さく呟くと、裕一は「ん?」と耳を傾けてくる。
「私ね。ほんとは、喫茶店を開くのが夢だったの」
「じゃあ、うちの学校に来たのは?」
「早く家を出たかったから」
近所迷惑にならないように……と、里桜は「将来を押し付けてくる両親が嫌だったから、抗い続けたの」と続ける。わりと直球に言ってくれるな、と裕一は驚いたようだ。
「私の憧れだった、天瀬ひかりさん。貴方も知ってるでしょ?」
「ああ……。学園で最初にカフェを開いた人だったな」
「そう。ただ今は、空の向こうに……」
ひそひそと話を続けていく途中。里桜は天を仰ぎ、息を吐く。
それを真に受けた裕一は、とうとう心配になってきた様子で。
「……大体の話はわかった」
これ以上なにも云うな、と言いたげに――自ら手をつないでくる。
「だったら。これからも、君についていよう」
「許してくれるの?」
「ああ。直向きな君だからな」
その手には、夫としての自覚や決意が込められているようだった。
里桜は嬉しくなって、その手を握り返す。
「ありがとう……。裕一さん」
街角に進むふたりを出迎えるかのように、目の前で一筋の流星が落ちていった。
「ただいま~」
「おかえりなさい!」
店に戻ってちょうど、クラシック系の音楽やからくりの動作音が鳴り始める。
時計の針が夜の9時を示しており、里桜と裕一は頭を下げる格好となった。
「材料、手に入ったわ」
「悪いな。長らく任せてしまった」
「大丈夫です。あ、オレの父さんも来てますよ」
相手は高三とはいえ、長らくひとりにしてしまったから。
しかし、孝実はそんなことなど気にしていないようだった。
「こんばんは。いきなりごめんなさいね」
「達実さん。お世話さまです」
「こちらこそ、息子さんに申し訳ないことをしました」
「いえ。彼は、うちでもこんな感じですから」
出窓付近で、少し孝実にそっくりな壮年男性――伊野瀬達実が迎えに来てくれたからだという。
相手の慈悲があったものの、今後は気をつけたい……と里桜は思った。
「そうだ! 開店準備ができてきましたし」
「これから、うちでご飯食べていきませんか?」
そのあとの沈黙を、伊野瀬親子が打ち破る。
「いいんですか」
「もちろんですよ」
「昨夜、息子が考えた料理があるのでね。是非」
どうやら彼らは、里桜や裕一を招きたいようだ。
里桜は裕一に「どうする?」と声をかける。すると「たまにはいいんじゃないか」とすんなり返ってきた。
「じゃあ、しゅっぱーつ!」
里桜はそれに応え、入り口の鍵を施錠していく。電柱越しに小さい人影が潜んでいることも知らずに……。
***
「サササ……っ!」
(アジトみーっけ)
街の明かりが消えかける路地。
見た目小学生くらいの少年が「しめしめ……」とほくそ笑む。
「よーし」
誰もいないことを確認し、ズボンのポケットから棒のようなものを取り出す。その矛先は――ドアのガラス部分。
「……。てっしゅ~う!」
大きく派手に『ジャックちゅう』と、荒らすように落書きを残す。目の前の気高い人影を振り払い、さっさと逃げていくのだった。
***
「お待たせしました。にがおえパンケーキです」
「いただきます」
出発点から500m先。上り坂に位置する、伊野瀬ファーム・レストラン。
父親とお揃いのエプロンをつけた孝実が、はちみつの甘い香りを連れてきた。
「これ、甘くて美味しい!」
「バターのコクも深くていいな」
「お口にあったなら、よかったです」
可愛らしい里桜や裕一の似顔絵がチョコペンで、周りにホイップクリームでハートが描かれたパンケーキだ。
「これ、また食べたいかも」
「レギュラーメニューとしてありだと思う」
「父さん。どうかな?」
「うん。きっと売れると思うよ」
フォークを置いた里桜や裕一が褒めちぎる。「先生たちに褒められた~」と孝実もご満悦らしい。
「ごちそうさまでした」
里桜はスマホを見る。夜の十時になって、裕一も何かを考えていたようだった。
「高見くん?」
「そーちゃん。まだ半分残ってるよ?」
「悪い。なんか今、嫌な予感がしてきたんだ」
その傍らでは、高見颯介――制服を着た長髪の少年が背を向けていて。
隣をちらっと覗き、里桜はふと思った。何かに焦っているのではないか、と。
「これ、お代な。それじゃ――」
「ちょっと。そーちゃん!?」
「……これは、大変なことになりそうだ」
裕一や孝実まで唸らせるほどの予感を匂わせながら、少年は慌てふためいて行ってしまう。
「お兄ちゃんって、大変なんだね……」
しわくちゃになった千円札を受け取る孝実はおろか、達実も苦笑するしかないようだ。
「裕一さん。わたしたちも」
「ああ。ごちそうさまでした」
「はい。また明日!」
「気をつけて」
里桜は伊野瀬親子に手を振り、裕一を引き連れる。ちかちかと街灯が点滅するだけの道を歩いていった。
「えっと。この道を、逆方向で……」
青い『仁志島住宅街二区』と書かれた看板を横切ってすぐ。
里桜は鍵を開けるために、手元の懐中電灯で照らす。
「まあっ!」
すると、指に黒や赤のインクがついた。その気色はドアノブにまで移っている。
(完全に消すには、時間かかりそうね)
かといって、この薄暗い場所ではどうすることもできない。そう判断した里桜は「今日はいいわ」と諦めた。
「明日、孝実くんに相談しましょう」
「そうだな」
正式版(今年の夏秋をめどに掲載予定)に続く…。
※本作はフィクションです。実在の人物・地名・団体名などとは一切関係ありません。
※作品のアップデート時、本編中の一部表現などが変わることがあります。ご了承ください。
©やもり由羽/note
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?