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【ゼロ年代後半】YUIから銀杏へ導く彼とメディア

静かな教室で、誰かの"着メロ"がなった。女性歌手のようだが、JUJUの「明日がくるなら」でも、加藤ミリヤの「Love Forever」でも、青山テルマの「そばにいるね」でもない。

校則が厳しかった中学で、携帯を持ち込むことは御法度中の御法度。
「あーあ、誰かやっちゃったな」とニヤニヤしながら携帯の持ち主を探る。カバンに入っているのか、音がこもって聴きとりにくい。しかし、耳なじみのいい曲。

I feel my soul Take me your way そうたったひとつを
きっと誰もが ずっと探してるの
それは偶然ではなくて 偽りの愛なんかじゃなくて
You're right, all right
You're right, all right Scare little boy

YUIだ。

KDDI「LISMO」のCMソング「CHE.R.RY」では決してなく、YUIのデビュー曲である「feel my soul」を着メロにしていることは、中学の私にとって重要なことだった。

鳴っているのは私の携帯だと気づいた私は、慌てて周囲を見渡す。

幸い、まだ先生を含めほとんどの生徒が気づいていなかったが、左前の席の男の子だけ、こちらをまっすぐに見ている。
丸い大きな目をパッチリと見開いて、「お前かよ」と目で訴えてくる。

彼は、誰にでも1人はいるであろう、知らない漫画や音楽を教えてくれる友人であり、初めての恋人だった。

Gmailで送られくるURLたち

彼は小学5年生のときに転校してきた。転校早々、クラスメイトと殴り合いの喧嘩をして、怖い人として認識されてしまった彼を、避ける人も多かった。私もできるだけ関わらないようにしていたものの、彼と隣の席になってしまってから関係はするすると変わっていく。

忘れ物が多い私は、ビクビクしながら何度も彼と机をくっつけて教科書を見せてもらっていた。そのうちに、いつの間にか教科書の隅に先生の悪口を書いて笑いあう仲になっていた。短気なだけで、お茶目で元気で、優しい男の子だった。

急速に距離を縮めていった私たちは、学校から帰ってもメールで連絡しあった。当時はお互い携帯を持っていなかったので、Gmailを使ってパソコンでメールしていた。

2人のお兄ちゃんがいるからだろうか、彼は同級生よりもたくさんのことを知っていて、いつもメールで色々なことを教えてくれた。映画はこれが流行ってるとか、漫画はこれがおすすめとか、このwebサイトが面白いとか。(おもしろフラッシュはよく送られてきた気がする)

その中でも、彼から送ってくれたあのURLは、私の音楽史を変えた特別なものだ。

Youtubeで聴いた最初の音楽

送られてきたURLをクリックすると、Youtubeのページが開かれた。今でこそ当たり前の光景だが、これは、私が初めてYoutubeを開いた瞬間である。

https://youtu.be/x9S9oygUEW0

彼が送ってくれた動画は、BUMP OF CHICKENの「車輪の唄」のMV。そして、私が初めて、Youtubeで再生した動画だ。

町はとても静かすぎて
「世界中に二人だけみたいだね」と小さくこぼした

彼がこの動画を送ってきた意味を考えて心がざわついた。

しかしそれ以上に、Youtubeという底知れないインターネット空間に気持ちが掴まれていた。

関連動画ジャーニー

2005年にローンチされ、急速に成長していたYoutubeは、まだインターネットすらロクに触れたことのない2006年の小学生にはあまりにも刺激的だった。

「車輪の唄」から始まり、関連動画にあふれる知らない曲たち。私が聴く音楽の幅は急速に広がっていった。

RADWIMPS、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ELLEGARDEN、くるり、相対性理論、チャットモンチー。

Mステでヒットチャートをチェックし、TSUTAYAでCDをレンタルすることしか知らなかった私は、邦楽ロックを中心に、未知の曲が無限に溢れるYoutube空間に一瞬にして溺れていく。

夜な夜なYoutubeを開き、2000年代後半、もっとも聴いていた曲の一つはHYの「NAO」。画面にうつされたアルバムのジャケットをぼーっと見ながら、繰り返し同じURLを叩いた。振り返れば大した恋愛もしてないのだが、世界の狭い10代前半、"片思い"は今以上に一大事だ。

諦めたくなっても あなたまたホラ
優しくするでしょう
同じ気持ちじゃないなら
そんな言葉や 態度なんていらない

その後、彼とは"両思い"だとわかって、"付き合う"ことをしてみたけど、「14才の母」のように大恋愛をすることもなく、何をしていいかわからなかった私たちは、中学に入ってまもなく、ただの友達に戻っていた。

それでも、彼が教えてくれた「車輪の唄」から始まった私の邦楽ロック好きは中学時代にさらに加速していく。

ラジオ・CD・MD

「起立・礼・叫べー!」

部活を終え、お風呂に入り、ご飯を食べ、フジテレビを見ていたらもう22:00。自室に戻り、ラジオでやましげ校長の声を聞きながら、SCHOOL OF LOCKの掲示板を眺めながら、一日の終わりの準備をする。

「YUIが好きならおすすめだよ」と、これも彼が教えてくれたtokyoFMのラジオ番組「SCHOOL OF LOCK」は、中学に上がってもよく聞いていた。

CDもMDも聴ける、SHARPの銀色の小さなラジカセを買ってもらって。

ラジオを聴いて、CDを聴いて、お気に入りの曲をMDに落としてまた繰り返し聴いていた。当時パワープレイされていたAqua Timezの「等身大のラブソング」は、ラジオで初めて聴いて、MDに録音して繰り返し聞いていた曲のひとつだ。

百万回の「愛してる」なんかよりも
ずっとずっと大切にするものがある
俺は何も言わずに抱きしめるから
お前は俺の腕の中で幸せな女になれ

ラジオ番組を聴くようになって知ったアーティストはAqua Timezだけではない。サカナクション、RIPSLYME、氣志團も、そういえば、ラジオからだった気がする。

SCHOOL OF LOCKは、やましげ校長、やしろ教頭はとうにいなくなり、今年2020年からは若手お笑い芸人と、LDH系列のアーティストがメインパーソナリティをしているらしい。

ケータイ小説とガッキー

2007年、日本ではニコニコ動画が急成長し、世界ではUstreamなどのストリーミングサービスが始まり、soundcloud、Tumblrや今に繋がるインターネットサービスが次々とローンチされていた。

そんな中、中学でクラスメイトが夢中になって使っていたのは「前略プロフィール」や「ホムペ」だった。学校の裏サイトやインターネット上のいじめが話題になったのもこの頃で、その問題が今にも起きそうな雰囲気をすぐ身近に感じていた。

au「MEDIA SKIN」の小さい画面を駆使して、周りに合わせて前略やホムペをひととおり開設。しかし、ギャル文字と荒らしだらけのページにはとうとう馴染むことができず、代わりに、親友と一緒にNHN Japanが運営していたブログサービス「CURURU」で普通の文字でいそいそと日記を書いていた。

ヤンキーたちがはびこる前略プロフとは相容れなかったが、「魔法のiらんど」は彼らと一緒に見ていたwebサービスだった。

中学の図書室は、意外にもヤンキーたちであふれていて、私が宮部みゆきのミステリー小説や、星新一のショートショートを読んでいる横で、ヤンキーたちはケータイ小説を読んでいた。

表ではケータイ小説を冷たい目で見ながら、美嘉の「恋空」は私も魔法のiらんどで読んでいたし、Chaco「天使がくれたもの」は書籍を購入していた。

「恋空」は、魔法のiらんどで2005年から執筆を開始し、2006年には書籍化、2007年には新垣結衣と三浦春馬主演で映画化されている。

主題歌はミスチルの「旅立ちの唄」がオリコン上位にランクインし続けていたが、挿入歌である新垣結衣の「heavenly days」の方が私は好きだった。

ガッキーの囁くようなか細い声が、ケータイ小説の頼りなさげに絞り出した文章とリンクしている気がした。ケータイ小説のあの世界観はなんだったのだろうか。フィーチャーフォンでしか、パケット制限がある中でしかあり得なかったような、狭い空間での必死の表現。

ヘブンリーデイズ 胸のポケットの部屋
君の消えたぬくもりを探すよ
もう君を二度と想うことはなくても あぁ
まだ少し暖かい あの日に鍵をかけて

rad_wimps_n_m@xxxx

みんな彼氏彼女の名前や、好きなスポーツ、好きなアイドルや芸能人の名前をメールアドレスにしていた。メールアドレスは自己アピールの場所だった。

クラスメイトの女の子たちのメールアドレスは、見事にジャニーズ一色。「ごくせん」・「野ブタ」・「花男」を小学生時代に見ていた私たち世代は亀梨・山P・赤西・松潤好きで溢れかえっていた。ポポロを学校に持ってきて「この中で誰がかっこいいと思う〜?」という正解のわからない質問が飛び交っていた。愛想笑いで無難そうなイケメンを指差し、話を合わせていた私のアドレスはRADWIMPSだった。

学生フリータイム500円という破格のボロいカラオケで、友達が嵐やKAT-TUNやNEWS歌う中、構わずRADばかり歌っていた。

「何もないんだってここには」って笑ってる君も望んでる
そんな声もかき消すほどに 膨れるこの万象を
「意味はないんだって僕には」って叫んでる僕も望んでる
無味を悟る その先に浮かぶ光の粒を

田舎の中学だろうか、赤外線通信で交換した私のメールアドレスに反応してくれる友人を終ぞ見つけることができず、高校に入る頃には恥ずかしくなって味気ないメールアドレスに変えてしまった。

B'zが好きな彼と、銀杏が好きな私

中学3年生になってできた彼氏は、面白いし、優しいし、それなりにかっこいいし、特に不満もない素敵な人で、B'zが好きなバスケ少年だった。

その頃は、外でソニーの小さいウォークマンで音楽を聴くようになり、放課後、健気に彼の好きなB'zを聴いてみたりした。

何もない田舎で暇を持て余し、とりあえずウォークマンで音楽を聴きながら目的地もなく家を出るのが私の休日だった。2009年ドラマ「ブザー・ビート」の主題歌B'zの「イチブトゼンブ」を再生していたはずが、いつのまにか銀杏BOYZの新曲「ボーイズ・オン・ザ・ラン」になり、そのまま青春パンクロックメドレーに変わっていく。

その頃にはもうプレイリストは邦ロックばかりだったが、部活を引退し、青春時代の昇華できない欲求がさらにつもっていたところに、とくにパンクロックはよく効いた。

あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら
死んでもかまわない あなたのために
あなたがこの世界に一緒に生きてくれるのなら
月まで届くような翼で飛んでゆけるのでしょう

銀杏BOYZを聴きながら、ひとり小さな街を駆け抜けるその時間に、もうB'zは入り込んでこなかった。

Take me your way

私の着メロに誰よりも早く気づいた彼は、必死に咳をして音をごまかし、「早く止めろ」と目で合図を送ってきた。

慌ててカバンに手を突っ込んで携帯を探り、着信を切って電源も切る。先生の耳にYUIの声が届かないうちに、なんとか着メロを止めた私は、安堵と感謝の気持ちで彼を見る。

彼が少し呆れたように笑うので、私は申し訳なさそうに笑い返す。その無言のやりとりが、昔の2人だけのメール空間みたいで懐かしかった。

ドラマだったら、ここからまた何かが始まるのかもしれないけど、私はB'zが好きな彼氏がいて、彼も加藤ミリヤが好きそうな彼女がいる現実はどうにも変わらず、ただの友達のままだった。

彼があの頃教えてくれたことはとても些細なものだったが、私の音楽の趣向に色濃い影響を残している。

プレイリスト

そういえば、Adobe Flashのサポートは2020年末に終わる。彼が教えてくれたおもしろフラッシュたちは、もう少しで再生できなくなってしまう。

青春を彩ったサービスも製品も、ラジオ・テレビ番組もどんどん変わって消えていくけれど、きっと年をとって死ぬまで、この音楽たちを聴いてあの頃を思い出せる。

君とよく行った坂下食堂は
どうやら僕と一緒に卒業しちゃうらしい
何でもない毎日が本当は
記念日だったって今頃気づいたんだ 今頃気づいたんだ


と、知人開催の企画参加noteでした🙋‍♀️