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多様なあの世から「生」を考える

 日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
 今回は、前回から引き続き、『辛酸なめ子と寺井広樹の「あの世の歩き方」裏道マップ』(以下、『あの世の歩き方』)を読んで考えたことを書いていきたいと思います。
※私が考えたことを書いていくので、本の内容には深く触れませんが、これから読む予定の方にはネタばらしになってしまうかもしれないのでご注意ください。

 『あの世の歩き方』では、臨死体験をした方、霊感のある方など、沢山の方が考える「あの世」が紹介されていました。
 私がこの本を読んでいて感じたことは、紹介されているあの世の捉え方が、とても多様だということです。以前、生前記憶と臨死体験を比較したときには、あの世についての考え方に似ているところが多くて驚いたのですが、今回は反対に、人それぞれ異なるあの世が語られていました。

 あの世では魂だけになって好きなところに飛んでいけるという考えもあれば、死ぬと他の魂と一緒になって個人はなくなるという考えもありました。また、そもそも命はみんな1つで、生まれることも死ぬことも本当はないのだという考えもあって、新鮮でした。
 どれかが正解なのかもしれないし、個人の考え方によって死後も違ってくるのかもしれないし、これらを全て説明できるような考え方が存在するのかもしれません。
 それは分からないのですが、私は、このように自分の死生観をしっかりと持っている方たちが、素敵だなと思いました。本で紹介されている方々は、その死生観を、自分の生き方にしっかりと反映させて、今を満足して生きているように感じたからです。

 私は改めて、「死を考えることは、生を考えることに繋がる」ことを実感しました。今までは、「死について考えると、限りある人生をどう生きるかを考えられる」という意味で、死を考えることは生を考えることに繋がると思っていました。しかし、今回本を読んでいて、死に対する考え方は、それ以外のところでも、もっともっと生き方に影響を与えているのではないかと思い始めました。

 例えば、生前記憶を持つ子供たちの多くは、親を選んで生まれてきたと語るそうです。もし「子供は親を選んで生まれてきた」という死生観を持っていたとしたら、そのことは、子供の生き方にも、親の子供への接し方にも大きな影響を与えるのではないかと思います。
 また、死後の世界についてどう考えているかは、他者を見送るときの気持ちや、自分が年を取っていくことをどう捉えるか、尊厳死を望むのかどうか、自分は何をして生きていきたいのか、など色々なことに関係するのではないかとも思いました。
 死を考えることが、あらゆるライフイベントを考えることに繋がっていく。そのことに驚くと同時に、死と生はやはり切り離せないものなのだと強く感じました。

 私にとっては、死は恐ろしいもので、本当はできるだけ考えたくないものでした。死について考えても、恐怖や不安を募らせるばかりで、前向きに生きていこうと思えないことも多かったです。
 しかし、死について考え続けるなかで、少しずつ、自分の生き方についても考えられるようになってきました。これは、私にとって大きな変化です。だからこそ、これからも、死について沢山考える機会があったことに感謝しながら、死と向き合い続けていきたいと思います。

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