死を想う2

シェリー・ケーガン『「死」とは何か』を読んで

日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
今回は、シェリー・ケーガン『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』を読んで思ったことを書きたいと思います。
ただ私が思ったことを書くだけなので、内容にはあまり触れませんが、これから読もうと思っている方は、一応ネタバレ注意です。

本屋さんでも目立つところに置かれているこの本、10万部以上売れているようです。すごい。
死に関する本が、これだけ注目されているというのが、まず興味深いですね。
それだけ、死を考えたいと思う人が多いということでしょうか。
どのような気持ちで、この本を購入するのでしょうか。
私は、死があまりにも怖かったので、
「知らないから怖いのかもしれない、知識を増やそう」
と思って読み始めました。
前半は大きく省略されているそうなので、そちらの内容も気になります。

この本では、死の本質や、死がなぜ悪いのか、自殺は認められるかなど、死に関する様々な問題について哲学的に考察されています。
その中で、一番私の心に残っているのは、「死を恐れる態度は適切ではない」ということです。

本の著者は、魂というものは無く、死後は無であると考えているようです。
死後全くの無になるというのは、私が恐れる死のパターンの1つです。
今まで経験したものや、今ある全ての物がいずれ無くなると考えると、なんとも言えない悲しい気持ちになり、何もない世界を想像すると恐ろしくなります。

しかし、本の中では、死を恐れる態度は適切ではないと語られています。
その理由は、「死」は人が恐れを抱く条件を満たしていないからだそうです。
詳しくは、本の中で細かく考察されているので、良かったらそちらを読んでみてください。

実際、私は今まで自分以外に、毎日毎日死が怖くてたまらないという人に会ったことがありません。
だから、死に直面している状況以外で、死を極端に恐れることは適切でないのかもしれません。
私自身、こんなに死を恐れるのはおかしい気もしています。
ですが、おかしいと思ってすぐ変えられるものでもないのです。

漫画を読んだり、用事を詰め込んだりして、死を考えないようにすることはできるのですが、考えないようにしても不死になったわけではないので、ふとした瞬間に恐怖が戻ってきてしまいます。
でも、そもそも、私は死の何を恐れているのかと考えると、よく分からない。
死ぬときの苦しみのような気もするし、死後が分からないことのような気もするし、無になることのような気もします。
色々あって、よく分からなくなります。

本の著者は、死を避けるのではなく、死と向き合うことが大切だと書いていました。
私もこのまま死を考え続けていこうと思います。


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