死を想う2

大切な誰かと「死」を語りたい:介護士になった友人から学んだこと

 日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
 今回は、「死を語ること」について。

 こんな文章を書くくらいですから、私は、毎日のように死について考えています。しかし、考えることがやめられないだけで、死について考えることは特に楽しくありません。むしろ怖く、悲しく、辛いときの方が多いように思います。そこで、その恐怖、悲しみを軽減するために、「死について語り合う」ことを始めました。死は、私一人の問題ではなく、人類全員の問題だと思います。独りで死と向き合うより、何人かで死と向き合った方が心が軽くなるような気がします。

 先日、久しぶりに会った友人と、死についての話をする機会がありました。その子の話を聞いたときの、「私の周りに、死をこんなに真剣に考えている人がいたんだ!」という感動と、「考え方すごいな!」という尊敬の念があまりにも強かったので、そのときの話と、私が思ったことについて書きたいと思います。

 その子は現在、介護士として働いています。多分、小学生くらいのときから介護士になりたいと言っていたので、長年の夢を叶えました。
 彼女は、仕事をする中で、「生きていく上で環境が大切」だということを実感したと言っていました。人事異動などで施設内の空気が大きく変わると、利用者の方も落ち着かなくなってくる。逆に、職員の関わり方1つで、それが改善することもある。そのような経験から、自分の周りの環境も意識するようになったそうです。私たちの周りにも環境があるし、私たち自身も誰かの環境の一部。だからこそ彼女は、自分がどういう環境の中にいて、どういう状況なのか、整理することが大切だと感じているそうです。

 長年の夢を叶えた彼女ですが、お年寄りの介護をするなかで、「これは、本当にこの人のためになっているのか」という悩みを抱くようになったといいます。ご家族の希望を聞くことはできたとしても、介護を受けるその人自身は、自分で話したり動いたりはできません。だから、介護を受けていてその方が幸せなのかどうか、その答えは分かりません。嫌なのか、それで良いのか、まだ生きたいのか、苦しみたくないのか。ご本人以外に、その気持ちは決して分かりません。

 仕事を始めてから、彼女は自分のエンディングノートを書くようになりました。毎年内容を更新しているそうです。自分で考えて、伝えることができるうちに、自分の希望を残しておくためです。また、自分の家族にも、老後どのように過ごしたいか、延命治療を望むのかなど、聞いておくことが大切だと思い始めたそうです。

 私は、この話を聞いて、私は再び、死を語ることの意味について考えました。
 死を語ることには、やっぱり大きな意味があると思います。人が死ぬという事実は、認めたくないものであり、直視したくないものです。でも、老いや病、そして死は、いずれ必ず訪れます。そして、その瞬間が訪れるときには既に、私たちには自分の希望を相手に伝える力が残っていないかもしれません。自分の将来を考えられるうちに、しっかりと考えて、自分の気持ちが伝えられるうちに、周りの人にきちんと伝えられたら良いと思います。

 私自身も、家族に対して死の話題を持ち出すことは、気が重く、難しいのですが、死んで欲しくないと思うほど大切な人だからこそ、一緒に死について語り合っていきたいです。

 最後に、私の素敵な友人へ、真剣に考えて答えてくれて、本当にありがとうございました!

 

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