1億円あったらどうしますか。

今日、こんなツイートを見かけた。

それに対する私のリプライがこれ。

これについて、もっとしっかり書こうとしてこのnoteを書いている。

1億円が手元にないから御社の面接受けたいんだよ! とか言う即レスが浮かんだけれど、この問いは結構大事なことだと思うのでしっかり書きたい。

正直に言おう。お金があったら私は働かない。正確に言えば明確に私のものと言えるお金が生きていくのに必要なだけあったら、私は働かない。

現状は外に出てどこかに通うスタイルの働き方はできない身であるが。これを世間では就労困難な状況と言う。本当はもっとたくさんの就労の形があっていいと思うし、広まってほしい。が、それは置いておこう。

では、仮定ではお金のある私は何をして過ごすのか。お金があるとはお金で解決する問題をすべてお金で解決できる程度にお金があると定義する。

多分、読んで観て書いてを繰り返しているんだろうな、と思う。それと、学費や生活費の心配なく大学院に行けるだろう。

でもお金の心配がない、つまり働く必要がなかったら、私は大学院へ行きたいと思うのだろうか。大学院で生物学や医学を深めたいとも思う。思うけれど、大学院を目指しているのはその先に仕事があってのことなのだ。研究者としての、お仕事。

でも働かなくてもお金の心配がないなら、研究者やらないな、と思う夜もあるし、いやいや純粋に自分のためだけに取る修士号や博士号、最高じゃない? と思う夜もある。何せ私が書きたいことを書いて、世間から信頼を得るには修士号や博士号があった方が都合がよい、ということもある。

お金のある私は書籍を読んで、映画やアニメやドラマを観て、自分の好きな文章を好きなだけ書き散らしている。多分、文章を発表することもしていると思う。それこそ同人誌刷るのにお金の心配がないんだし。

ということで、私が1億円あったらすることは「大学院行って純粋に自分のために修士号や博士号を取るかもしれないし、たしかなことは需要を全く気にせず読んで観て書く」だ。

後半は今と何が違うのか、と言われれば需要を気にするか否かだと思う。今はやはり稼ぎが必要なので、人に読んでもらうことを前提として書いている。読まれなければ、稼げないからだ。お金があったら、読まれなくても好きなこと書きたいことを書いて生きているだろう。

だからと言って、お金のある私が仕事をしないかと言われると少し疑問だ。好きなように書く、のなかには"アルビノについて書いた本を出す"などの目標もあり、達成すればそれはお金の発生する"仕事"になる。そういう意味では1億円あっても仕事をするのかもしれない。

1億円あっても書きたいのは確定で、研究したい夜もあるみたい。これが私の答え。

お金あったら研究者にはなるけど教育はしない、みたいなこともできるのかな。

執筆のための資料代にさせていただきます。