まだまだ浅くて、さまよっている。

足りていない

「優さんは、知識があるね」

「頭がいいね」

そう言っていただくことがある。好意からのこれらの言葉に私はそんなことないのに、と指を握りこんでしまう。爪が手のひらに食いこんで痛い。

でも本当に、私は頭がよくなんてないのだ。それは最高に病んでいた頃の卒業研究の際の私の様子が証明してくれる。最悪だった。よくない学生だったと思う。でもあれをどうすればよかったのかなんてわからない。もう一度やり直せてもまた同じことを繰り返すだろうというのは何となくわかる。この辺の意識改革とか得意や苦手の分析とかそういったものもまだまだ必要だ。

ゼミの発表を終わるまで何とか耐えて、発表に重大な欠陥があっても次の週への宿題にならなければそれでよくて、そもそも朝も起きられなくて、夜も睡眠が浅くて、食欲だってぐちゃぐちゃで、それでも何とかゼミの場にいた。今から思えばゼミの場にいられただけすごい。そして、そこで頑張っちゃったから、壊れた。やばいって休めたら、もっと早くに気づけていたら、という後悔は今もある。

そんななか、すごく頭のいい人がいた。私は当時無自覚ながらうつ状態で、頭にもやが何重にもかかっていたせいかもしれないけど、理路整然と情報を整理し、伝え、てきぱきと実験を進め、理解して前に進んでいける。そういう人がいた。その人は最終的に博士課程に進んだから、あの時この人すごい……! と感動した私は間違っていないのだろう。

その人を知っているから、他にも指導教官だった先生を知っているから、自分の知識はまだまだだと感じるのだ。それにうつ状態により頭にもやがかかった感覚は未だに消えてくれない。

まだまだなので、途方もないけど勉強しようと思う。自信をもって自分の研究について話せるくらいまで。研究を再開するためにも、大学院に合格しなくては。

さまよっている。

頭にもやが何重にもかかってはっきりしないから、何をどうしたらいいのかわからずにさまよっている。さまよいながら、必死にプライドと戦って、何人かに相談をしてみた。かつての私からすれば大進歩である。

あの自己開示が苦手で人を心配させてそれにすら言われるまで気づかない私が、他人に相談なんてできたのか。

それは、私の動揺ぶりを示している。どうしたらいいか、本当にわからなかったのだ。さまよって、どうしようもなくて、私はそこで初めて人が出てくる。

寄りかかることも、頼ることも、とても難しいし、特効薬や魔法みたいな解決策をくれる人なんていないけど、皆私のことを考えてくれる。そういう人達に気づかずに来たのだと自覚してしまう。

さまよっていることに、意味なんてあるのだろうか。

執筆のための資料代にさせていただきます。