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ゲームのなかで特別になれたから、日常なんかどうだってよくなってしまった。~FGOと私~

今日はアルビノでもASDでも適応障害でもアセクシャルでもノンセクシャルでもなく、とあるゲームの話をしよう。正確にはとあるゲームにハマって日常生活がどうでもよくなった話だ。

とあるゲームの話題は尽きない。はてなに400万課金した話が上がったこともあった。そう、このゲームの名前は皆さん察している通りFGOである。そして結論から言うと、私はそんな状態を経てもなお、FGOを続けている。

ゲームを始めたきっかけ

まず、このゲームを始めた経緯から話そう。

FGOはそのシナリオを売りにしており、しかもそれらが無料で読める。読書好きで常に活字を求めている私を満たすのにこれ以上のものはないだろう。

それに加え、皆が魔神柱なる敵をレイドバトル(要するに力を合わせて巨大な敵を倒そうぜ! というもの)で倒していく様子が非常に楽しそうだった。私もあれ、やってみたい! というやつである。

元々型月、Fateなどと呼ばれるこのシリーズに興味はあった。友人達がどっぷり浸かっていたから。楽しそうだなあ、と遠目で眺めていた。わいわいやっている姿が、羨ましくなかったと言えば嘘になる。

着々と外堀が埋まっていき、そして魔神柱のレイドバトルを見て、「やりたい!」と即インストールしたわけである。ゲーム苦手なのに。ゲームの戦闘全然できないのに。

そして私は戻ってこなかった

ゲームを始めるとそこには圧倒的な世界観があった。またプレイしている皆さんならお気づきだろうが、"マスター"(主人公)には読者でありプレイヤーである私達が入りこみやすい要素がふんだんにある。主人公は普通の少年少女なのだ。おかげで、すっと物語に入ることができた。

そして魅力的なキャラクターの数々。サーヴァントと呼ばれるキャラ達は戦いのなかで格好よく助けに現れたり、進むべき道に迷う主人公達に道を示してくれたりする。サーヴァント達とヒロインマシュとの物語は、最高に楽しかった。

また、このゲームを通じて友人もできた。ゲームの話をたくさんする友人だ。どれほど萌え話につきあってもらったか数えきれないほどだ。

課金は福袋のときだけ、それも金欠のときはしない、と決めていたのでこれは課金した話ではない。それを求めて読んでくれている人がいたら申し訳ない。

奈須きのこさんをはじめとするライター陣の書く物語が魅力的なことは勿論、主人公の設定がたまらなくよかった。"人類最後"、"たった一人のマスター"、それは"特別"に溢れていた。ゲームのなかのことなのはわかりきっているけれど、「私しかいないんだ」という感情はとても心地よく、その他のことを忘れさせてくれた。

時を同じくして、リアルが相当忙しくなる。本来ならゲームの時間をセーブしてリアルに向き合うべきだが、私はそうしなかった。家事をしながらというのはまあいいとして、必要最低限のリアルに使う時間以外をすべてゲームにつぎこんだ。

当時はイベントもしっかりクリアしていた。睡眠時間を削ることは極力避けたが、それ以外の時間はすべてゲームにつぎこんだ。

待ち時間、ちょっとした空き時間……。そのすべてをゲームにつぎこみ、頭にあったのはどれほど効率よくゲームをやるか、であった。

現実世界で軋みが出ても、ゲームに逃避すればいいや、と本気で思ってそうしていた。ゲームはアルコールや煙草と違って体に害はないし、と甘く見ていた気もする。

私は、ゲームの世界の住人になっていた。

やがてゲームもできなくなった

ところがあるときから、ゲームもできなくなる。何もできない日々が続くのだ。ログインしても戦闘までのロード時間で飽きて閉じてしまう。 

好きなのに、楽しいのに。これではいけないとスケジュールを立ててみたりした。でもそれはガラガラと音を立てて崩れていった。

その他にも外出困難、食欲不振、睡眠障害などが出てきてとてもゲームどころでなくなっていた。

好きなキャラがいるのに、会いに行けない。

そんな状況は私をより惨めにさせた。好きなキャラに会いに行けないことが寂しくて涙がこぼれ落ちた夜もあった。

今になって思うこと

あの頃はASDの特性により、気づかないけれどリアルに軋みが出始め、私は逃避先を求めていたのだろう。そこにFGOというゲームが、かっちりハマってしまった。それだけのことで、FGOも私も悪くない。

だけど、私はFGOをアンインストールすることはなかった。端末を変えてもなお、続けている。バビロニアのアニメも観る。映画になるキャメロットも行けたら観に行こうと思っている。

ゲームへのログインは週に一度すればいい方だ。というのも、本来私はゲームでの戦闘が苦手なのだ。正直ストーリーだけ読みたい。

それでも好きなキャラの行く末が気になるから、ゲームを続けている。

あの頃の状態は依存の一歩手前だったんだろう。

FGOとの距離感は考える必要があると思う。私はリアルを生きなければ生活できない、厄介な生物に生まれついてしまったのだから。

この文章はFGOを責めているわけではない。FGOに逃避した一人の人の話をしている。むしろ疲弊した心を救ってくれて、FGOには感謝している。

執筆のための資料代にさせていただきます。