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筆を置き、愛を拾う。

夕方、三軒茶屋駅で待ち合わせをして、合流したらやいのやいの話をしながら三軒茶屋grapefruitmoonへ。

到着すると、既に何人か集まっていて、整列も始まっている。

狭い入り口を抜け、細くて長い階段をおりる。

支払いを済ませ、ドリンクチケットを受け取り、順番に入場。

お気に入りの場所に座り、会場を見渡す。

今日はアルコールにしようかな。ソフトドリンクにしようかな。なんて考える。

ステージに並んだギターと四方八方の配信機材、埋まっていく座席と、再会を喜ぶ声。

そんないつもの楽しい空気を吸い込んでは、古い空気を吐き出す。

ドキドキ。

時間が迫るにつれて緊張で右手親指の付け根がキューっと痛くなる現象は、未だに誰にも理解されない。

2023年3月24日。

唄人羽の全国ツアー。東京公演。

私はパソコンの前で配信開始を待ちながら、そんなことを想像した。


人は3つの点が逆三角形に配置されていると、人間の顔に見えてしまうという本能があるらしい。シミュラクラ現象というのだとか。

更には、雲の形が動物の形に見えたり、動物の鳴き声が人間の話す言葉に聞こえたりするように、視覚や聴覚で得た対象を実際とは異なる別の既知のものとして認知、解釈してしまう現象もあって、それはパレイドリア現象というらしい。

私たちには何かを当てはめてしまう本能や、必要な時にすぐ引っ張り出せる膨大な記憶や、宇宙よりも広い想像力がある。

だから私は、今回自分が会場へ行けないという事実を良い方向に解釈することができたし、配信を待つ画面を見ながら、行っていないライブの空間を容易に想像することができた。

行けなくて悲しい。悔しい。という気持ちが無いことはなかったけれど、その感情に邪魔をされるほど私の想像力はヤワじゃない。

ゆっくりと配信がスタートする様子を観ながら、暗転からの明転を思い浮かべることだってできた。

が。


「唄人羽ですー」

哲郎さんの声で始まってすぐに、あぁここからは想像力ではどうすることもできないんだな。と理解した。

イヤホンから聞こえる声や音は、向こう側とこちら側の間に何の障害物もないかのようにクリアで、頭の中はそれでいっぱいになる。

でも、体にぶつかってくるものはない。

当たり前か。

「懐かしい曲を入れながら…」

そう言いながら唄うセットリストは驚きの連発。会場に行きたかったなぁぁぁと思う暇もない程、終始ワクワクさせてくれた。

懐かしい曲は確かに昔の曲ではあるけれど、当時のままではないように思えてしまう。それはきっと二人が立ち止まらずに進化しているからだろうなぁ。なんて解釈してみた。これも本能に備わる何かなのかもしれない。

昔の曲を今でも大切に唄ってくれるのは一曲一曲に愛を感じるし、ワクワクさせてくれるセットリストはファンへの愛を感じる。

そのままでなく唄と共に進化しているのは音楽への愛を感じるし、同じ曲の昔と今の違いに趣を感じるファンの人達側にも愛を感じる。

画面越しに、イヤホン越しに、相互に飛び交う愛をたくさん見つけた。


『P.S. Coronavirus』というタイトルを掲げた今回のツアーは、その名の通りコロナ禍のライブという筆を置いて、終わりを迎えるようなライブだったように思う。

思い返してみると、ツアー中止から始まり、無観客配信でライブをやってみる。換気、距離、時間の制限を守って有観客。それらが少しずつ緩和されながらのツアー。

いろんなライブがあった。

それぞれに足を運んでいると、少しずつ緩和されていく様子を肌で感じられた。どうにかして私たちに唄を届けようと試行錯誤してくれる唄人羽のお二人や、各会場のスタッフの愛が感じられた。

じゃあ、どこまでがコロナ禍のライブなんだろうか。いつまでこの筆を持っていれば良いんだろうか。

「(一緒に)唄おう」

決して全く元通りというわけではないけれど、今回のその言葉で、配信経由でも聞こえる客席からの声で、二人の楽しそうな様子で、ようやく筆を置くことができた気がする。

ようやく両手が解放された。

これからもっともっと元通りになって、配信をしないライブだってどんどん出てくるんだろう。

それはそれで良い。それが一番嬉しい。

しかしながら、完全に無くなってしまうのは少しもったいない気もする。

コロナ禍で新たなスタンダードになった"配信"も、クオリティがどんどん高くなった。

画像、音声、通信環境…以前のことを考えると、どの会場でもとても安定していると思う。

だから今回も安心してコタツで八朔を食べながら観ることができた。

カメラワークもぐんぐん魅力的になっていて、曲に合わせた演出には配信スタッフから唄う二人への愛を感じる。

(今回のライブMCで"禁酒をしていた"という会話の最中に、ビールがアップで映されたのも私的には面白ポイントだった。ハプニングでそうなったのか、意味を持ってそうしたのかはわからない。)

現地に行って身体全体で音楽を受け止めるのが一番であるということはもちろん理解できる。きっと配信をしてくれている方々もそんなことはわかってる。

確かに、"ライブに行けないから配信を観る"ためのツールではあった。

今となっては、配信で観る人には配信で観るからこその楽しみ方ができるように工夫してくれているものがたくさんある。

そこにはスタッフ側から配信を観ている私たちへの愛を感じる。

私がこれまでに観た配信ライブの数なんてほんの僅かではあるけれど、grapefruitmoonの配信はいつもそう思う。

ここにもまた、愛があった。


想像以上に愛はたくさんあって、色んな形をして、色んなところに転がっていたり、潜んでいたり、ぶら下がっていたりする。

あれも、これも、あの人も、この人も。

そうそう。愛とはきっとあなたのことだ。

「コロナ禍ずっとこの曲を最後に唄ってきました。(配信を観ている人は)虹のスタンプ押してくださいね」

と、画面のこちら側にいる私たちにも忘れず愛を向けてくれた後に、"虹空"を唄いはじめた。

ファンに馴染み深いこの曲を、もちろん私も何度も聴いた。

通勤中、散歩中…いろんな場所で聴いた。

"愛とはきっとあなたのことだよ"

イヤホンからその言葉が聴こえる度に、いろんな光景を目にしてきた。

手を繋いで歩く親子。

手を取り合って歩く老夫婦。

お年寄りの体を支えながら笑顔で声をかけて歩く介護職の若者。

散歩中、犬に声をかけながらウンチを片付ける飼い主。

私にとってはそれら全部が"愛とはきっとあなたのことだよ"に当てはまるように思えた。

これもまた、本能だろうか。

ライブでも何度も聴いたこの唄のこの言葉。

今回私は家で一人で聴いた。

いや、二人で聴いた。

ほんの少しずつ膨らみ始めたお腹の中で、小さいながらもたくましく育つ命と一緒に聴いた。

"愛とはきっとあなたのことだよ"

どのそれが一番だとか、そんなのは無い。どれも同じようにそうだなぁと思う。

ただ、その時のそれはとてもあたたかかった。

こうやって二人きりで静かにこの唄を聴くために、その時間をかみしめるために、今回私は配信を選択したのかもしれない。

なんて、良い方向に解釈したこれも、本能の中にある何かしらの現象がそうさせたのかもしれない。

まだまだ続く『P.S. Coronavirus』ツアー。

私は全てを追いかけることはできないけれど、きっと全ての会場に個性豊かな愛が転がっているんだろう。


何事もなく、最終日まで無事に開催されますように。

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