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元生保受給者としてメンタリストDaiGo氏のホームレス・生活保護受給者差別発言を考える

おはようございます。昨日は、予防接種で発熱中の村田らむさんに急遽、記事を書いてもらいました。

「メンタリストDaiGoのホームレス・生活保護受給者差別問題|ホームレス取材の大御所村田らむが斬る」

村田さんあいである広場編集長の私が、元生活保護受給者なのも知っており、その時代の話もよく聞いてくれていた。

メンタリストDaiGo氏の謝罪動画も観たが、正直、私は「実態を知らなかった」という言い分も理解できる。私だって、自分がホームレスや生活保護受給者になる前は、偏見を持っていたからだ。

「悔しくて悲しくて惨めで、だけどとても幸せだった生活保護受給者の話① ~正社員からいきなりホームレスに!!~」

特殊な人がなるもの。自分とは関係ないこととして無関心だった。多くの人がそうなんじゃないだろうか。

だけど、実際に母子自立支援施設に入居し、生活保護を受給してみて初めて、実態を知ることになった。

村田さんの記事に中に

「ホームレスだって、生活保護受給者だって、人それぞれで性格も環境も全く違う。大雑把にまとめてヘイトを煽るのは問題だ」

とあるが、私も全く同感だ。私自身は子どもの病気がきっかけだったので、医師に言われた「3年間は生活保護受給をしても子どもの側にいなさい」との言葉に従った後、自立支援計画に沿って、3年後の就労を目指した。

だけど、母子自立支援施設の中には、様々な人がいた。中には、恐らく詐病(精神疾患)で働けないと言い続け、ずっと生活保護受給をしている人もいた。

一概に「ホームレス」「生活保護受給者」とくくれないのだ。

だけど、親や親族など、助けてくれる身近な人との縁が切れてしまっている人はとても多かった。その後、村田さんはこんなツイートをしている。

わざわざ「愛さない」と強調しなくても、愛されていない人たちが多数だ。

その後、ライター兼編集長となった私は、障害当事者取材を始めた。「障害者」というと「悲惨」「かわいそうな人たち」と思いがちだ。だけど、実際に取材してみれば、「苦しい」人たちがSNS等で声を上げ、それが記事で取り上げられているだけで、障害当事者でも、幸せに暮らしている人たちもたくさんいる

だけど、その人たちの声はメディアには出てこない。そもそも障害がありながら、就労してて、平凡な日々を送っている人はSNSで声高に発信もしておらず、取材を申し込むと「自分の話なんかつまらないですよ」と断られることが多数だ。なので、実際の当事者たちを取材しないと、見えてこない現実がある。

私が自分の生活保護受給から、脱却までの記事を掲載したところ「生活保護受給者の鏡!」という賞賛コメントが多かった。

だけど、生活保護を脱却できたのは、私だけの力ではない。私が大学も出ている。英語も話せた。正社員経験も長かった。なので、スムーズに今の会社で働けたというだけだ。

そもそも働かない(働けない)ことは悪いことなのか。その価値観で生きていくと、自分が働けなくなったときに、自分自身の存在を否定することになる。

ホームレスの中には、集団生活を送るのが苦手な特性(おそらく何かしらの障害がある)から支援施設から脱走する人もいる。

困窮者支援をしている人にも取材をしたが、非正規労働の末、定住する場を持てない人たちもいる。

「生活困窮者支援 ~仕事の切れ目が屋根の切れ目。ボストンバック1つで全国を転々とする、路上・車上生活者への支援の現場~」

集団行動を送れないことは悪いことなのか。

産まれる家庭も選べるわけではない。自己責任論がはびこっているけれど、自助努力でその環境から抜け出せない人もたくさんいる。

税金をたくさん支払っているから、お金を稼いでいるから偉いのか。

多分にそれは、生まれ育った環境や運や才能に恵まれるかどうかによる。

どうかそういった人たちを切り捨てないで欲しい。

以下に(株)アイデアル立ち上げの際のメッセージを掲載する。

世の中、なんだかどんどん息苦しくなってきていやしないか。
自己責任論が蔓延し、だれもが余裕がなく、忙しく、優しさにかける世の中になっていやしないか。
マイノリティはマジョリティからの一方的な価値観を押し付けられ、自分は無力な存在だとおもわされ、人生は選べないと思わされていやしないか。
だれだって幸せになる権利はある。自分の人生は選んでいい。 そのために対話をつづけよう。どんなに頭のいい人、経験豊富な人に言われなければ見えない想像が及ばないところは必ずあるものだ。
だから声なき声に耳を澄まして人の語りを聴こう。だれかが自分のことを自分の表現で語るのを手助けしよう。
そして人の話を聞いていたらきっと自分も語りたくなるものだ。そうしたら思い切って自分のことも語ってみよう。
自分のこころに押し込めている体験や思いを表現して皆に伝えよう。 
弱みだって、古い傷だって、みせていい。どんな夢みたいなことだって、やりたいと言ってもいい。
まずは安全な場所で全部出して並べて見せあおう。いろんな言葉にあふれている社会は健康だ。
人は弱さを絆に、助け合うために社会をつくったのだ。
ぶつかったっていい。相手を変えようとしないで、対話を続けていれば、かならずどちらにも変化が生じるもの。
合意できるところにかならずたどり着ける。
対話は未知の世界への冒険。成長を促す。
いろんな人と対話をつづけるなかで、様々な価値観を知り、自分のからだとこころにフィットする価値観を選べばいい。
手立てや工夫、アイディアを知ってやってみればいい。対話にゴールはないけれども、対話の総量がふえれば世界は必ず変わる。

あいである広場では、これからも、声なき声に耳を澄ましていきたい。

あいである広場より転載

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