最近のはなし(2)

また独り言が溜まってきたので放ちたいと思います。Xに時間を奪われているのでしばらく消す(てかもう消した)のですが、noteはたくさん使っていきたい。何となく、ここでは文章や自分の脳内と誠実に向き合えるので。
深そうな話も、あほみたいな話も、ここに詰めました。もし万が一もう少し読みたいと思ってくれるなら、過去に書いたほうも読んでください。そっちはこれよりもっと中身がなくて後悔するくらい薄いかもしれない。



①他人と同じ『時間』を共有することは出来ないのかも。たしかに1秒は1秒で、10秒でもなければ1分でもない。その事実は揺るがないのだけど。
それが長いか短いかは人それぞれ違う。そのときの精神状態はもちろん、肌に触れる空気ひとつでも変わるから。
遅刻されて待つ5分だって、猛暑日に待つ5分とあたたかな陽気の中待つ5分は結構違う。
私はちょっとしか待たされてないのに「大変お待たせいたしました!!」とめちゃくちゃ申し訳ない感じで出てくる店員さんを見たら、優しい人だと思うし、この人にとって今の時間は長かったのかーと思う。別に、それを思うだけで、責めることとかはしない。それ以上の分析もしない。うん、それだけ、それだけだから、話の終わり方が分からない😣←この絵文字かわいい


②毎日イヤホンを持ち歩いていて、ラジオや音楽を聞きながら様々な場所に向かうのが至高の時だ。だからこそ、30分以上の移動があるのにイヤホンを忘れた日は、なんのために耳ついてるんだよと思ってしまうほどラジオが聞きたい。ラジオが聞きたいだなんて、別に毎日思っているはずだけれど。いつも聞いていたのにいざ聞けないとなると、それが思考の中心に居座り離れなくなるのだ。
しゅうごパークさん(推しの芸人。良い人。)が「新幹線移動があって、前は喫煙所でタバコが吸えたのに今は吸えないから!いつもなら我慢出来る時間でも、前は吸えたのにと思うと途端にめちゃくちゃ吸いたくなった」というようなこと言っていて(かなりニュアンス)、どこか似た感情かもしれないと思った。

③「自分の身についていることを、他人に教えるのは難しい。出来ない人の気持ちが分からないから。」という言葉を聞いた。初心にかえることが大事とはよく言うが、これがいかに難しいことかは教える立場になることで理解出来るのだろうか。自らの知識や経験が積もるほど、初心者の目線から離れていってしまう。積もらせること自体は素晴らしいことなはずなのに。なんだか寂しさを感じた。知識や経験が豊富でありながら生徒の気持ちに寄り添える先生って素晴らしいと思う。やっぱりそういう人に教わりたいと思うし。


④今日食べたサンドイッチは甘いクリームとかの中にほろ苦い何か(多分ショコラ系)が入ったものだった…しかし、その苦さが埋もれに埋もれていた
POPには「大人な味わいが〜…」と書いてあり買うのに緊張したが、その時の感情が吹っ飛ぶくらい苦味は非常に微かなものだった。どちらかといえば甘いのが好きなので埋もれは吉と出ました。お店の雰囲気も良かったしまた行こう。


⑤多様性や、みんなの意見を尊重しましょうという世間の考えに囚われて「私はそうは思わない!」という反対意見がほとんど湧かなくなっていることに気づいた。
その結果八方美人に、そうだよね…そうだよね…と共感してばかりで自分はいったいどの立場なのかが分からなくなってしまった。反対することを恐れない人間になりたい。現代では批判とか否定は良くないとされてるけど、必ずしも無くすべきなのだろうか?それが無くなってしまったら反対意見を持った人の自我や個性が霞んでしまうのではないか?あんなに個性を大事にしていたのに?
でもさぁ、やっぱり批判されたら悲しいし、そんなこと言わないでよとか言いたくなるじゃん!!
結局私も、周りのことを気遣っているように見せておきながら実際は自己中なのか…?と思う。反対することを恐れたくないけど、人の気持ちを考えず傷つけてしまう人間にはなりたくない。欲張りだけど、なんか、その辺がさ、すごく、上手になりたいなーって…感じ😫

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