発言は’その人’をあらわす


 脱モラハラに成功したものの、
どうしてもモラハラについて考えることが
やめられないでいる。

 とらわれているという感じだ。

気持ちが軽くなって、もういいや! となる日も、
重苦しい気持ちで何でこうなった、と
延々と考えてしまう日もある。

 そんな毎日を過ごしているので
考えるのは当然モラハラのことと、
自分は悪かったのかどうかということ。

何度考え直して決着をつけたと思い込んでも
また自分が悪かったのかもと思い直してしまう。

 こんなことをしているもんだから
人との会話に出てくるものの端々に
モラハラの話題が見え隠れするのだ。

自分が悪いといったことを口走ったり
相手が悪いということを言ってしまったり。

 事情を知っている相手にしか
モラハラの話題は出せないわけだから
当然相手は限られてくる。

同じ相手に同じような話を繰り返してしまうのだ。
辟易とされてもしかたないというか当然である。

 そこで気がついた。

私がこんなにモラハラに関することしか
思い浮かばないのは
毎日そのことを中心に世界を見ているからだと。

 モラを怒らせないようにとモラ中心に考えていたクセが
どうしても抜けないでいるのだ。

モラのことしか考えられないから、
頭に上ってくる話題も必然的にそういうものになる。

 今の私はどれだけもう大丈夫だと思っても
モラハラにとらわれているのだなと思った。

日々考えていることが口をついて出てくる。
これを強く実感した。

 と、いうことは?

モラがすぐにモラモラ言ってしまうのは、
日々そういうこと常に考えているからなのではないか。
きっとそうだ。そうとしか思えない。

自分の中にないことは言葉にもできない。

モラハラしてしまう人間というのは、
その人の発するような言葉が脳内にあふれている人。
きっととても息苦しい人なのだ。

と、思った。
ほんとうかどうかはわからない。
頭の中は覗けないからね。


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