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買い物の仕方

人の買い物について、今まで出会った人の中に二人ほど興味を持った人がいる。

一人は大学生の頃に出会った女性。
私は昔からお小遣いももらっていなかったし、大学生の頃は家も出ていたので必要のない買い物をする事があまりなかった。かわいいなとか、欲しいなっていうものは人並みにあったけれど、基本的に我慢、我慢で通ってきた。

だからその女性と旅行に出掛けた時、私の姿を見ていて何か感じたのか「出かけた時に何も買わずに帰るのって寂しいじゃん。私、そういう時はハンカチだけ買う事にしてるの」と話してくれた。
お土産以外自分の物はほとんど買った事がなかった私は「そういう物なら使うからいいでしょう」と、旅先やちょっとしたお出かけの買い物の仕方を教わった気がした。

もう一人は社会人になってから出会った男性。
「俺の着てる服、平均で2〜3万はするんだよね。高いなとは思うけどお店の主人の生活の糧になるならって。いつもその店で買うんだ」と話していた。私はそんな観点でお金を使った経験がなかったので「なるほど」と思いながらもびっくりしたのを覚えている。支援の意味での買い物を知った時だった。

そして今、私の買い物はというと・・・正直変わっていない。
家計を守る使命の元、やはり自分や家族に今必要ないものにまで手が伸びない。エシカルだとか地産地消だとか意識している事はあるものの、基本的に自分達の為の最低限の買い物をしているだけ。

多分私はつまらないのだ。そんな何のこだわりもない買い物が。
だから人の買い物、お金の使い方が気になってそんな事を思い出したりしているのだ。

そんな私だけれど、ひとつだけ結婚してから変わったことがあった。
家族みんなで食べようとおやつやデザートになりそうな物を見るようになったこと。もちろんしょっちゅう買っている訳ではない。みんなでおいしいねって食べる時間が好きで、その時間を買うのだと思っている。

あ、あるじゃん、こだわり。「たまに買う、家族団欒のひと時」いいじゃない。
なんだか自己完結してしまったけれど、どんなお金の使い方をするかというのは間接的に何を買うのかという事を意識するといいのかもしれない。旅の思い出、誰かへの支援、家族と過ごす時間。買うのは物だけれどそこに付随するものの方が重要というような買い物。
そんなことを意識すると、何の色もない私の買い物にも色がつくようなきがした。日本の経済をしっかり回さなければいけない今、そんな意識を持って買い物を楽しみたいと思う。



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