支援している子どもに「ねーねーゆうさんあのさ」と甘えられると嬉しくなる話
児童支援をして感じた事
こんにちは、2025年4月にライフコーチとして独立をする予定です。
僕は今の職種は児童支援の仕事をしています。
週に一度、担当の児童と一緒に散歩をしています。散歩は外の風、気持ちいい陽射しを感じられて僕にとっても子どもたちにとっても大切な時間です。
散歩に出かけると、その児童が集団の中では言えないような内容の話をしてくれます。
散歩の時間が長くなり後半になってくると、児童が自分の気持ちを隠さずに心を開放してくれるのが伝わってきます。
「ねーねー、ゆうさんあのさ」
と何回も名前を呼んでくれます。気持ちを開放してくるのに乗ってきたなと感じる合図です。「僕に甘えてきてくれているなー」と感じ、それと同時に「頼られているなー」と感じます。
やっぱり僕は頼られるのが好きなようです。
子どもに反抗されるよりも、頼られると僕の戦闘力があがり「さぁ、どんな願い事でも3つ叶えてやろう」という気分になります。(ドラゴンボールネタ知らない人ごめんなさい)
過去を振り返ってみると、頼られる事で力を発揮していた事も気付けます。
僕の過去の話
バスケチームで得点を取る人がいないなかで、僕が得点を取るように頼られている状況が一番力を発揮出来ました。「僕がやらないと!」と奮闘していました。
スタバで社員として力を発揮出来ていた時はいつも一緒に働いていた店長が「お前の好きなようにやって良い」と信頼してくれてた時でした。
頼られるために自分を犠牲にしてはいけない
頼られる事で力を発揮出来ると感じるのは良い事ですが、頼られるために頑張るのは違う気がします。
例えば《頼られるために、やりたくない仕事を上司から積極的にもらいにいく》だと、心身的に疲れてしまうし、評価を得るために頑張ろうとしてしまいます。
自分をありのまま表現したその結果、頼られるような順番が大切ですね。
頼られるために、自分を犠牲にしない事が大切かなと思います。
まとめ
誰かに頼られる事で力を発揮出来る人や嬉しい人はたくさんいると思います。
そんな素敵な性格はそのままで、またそのために頑張りすぎないのが大切なんじゃないかなと思いました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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