〇〇になったら分かるよ、が嫌いだ

先々週ぶりに低気圧が押し寄せ、雪が積もった。ビシャビシャの雪だから、そこまでは積もらないだろう。ただ朝晩の凍結が怖い。出勤中に車がスリップしないといいが、、、


私は ‘ 〇〇になったら分かるよ’ という言葉が嫌いだ。

だって、そんなの、本当かよ!って言いたくなる。

私が親になったら、子どもを過保護に育てる気持ちが分かるの?
私が大人になったら、理不尽にされる言動をゆるすことができるようになるの?
私があなたになったら、あなたと同じ状況、同じ人間になったら、その気持ち全部分かるの?

って。

人と会話していると、共感して
「それ、わかる〜!!」
とついつい言ってしまうが、結局それは分かったつもりになっているだけだと思う。
たぶん同じ状況におかれても、今まで育ってきた環境、立場が違えば、同じように感じているつもりでも、本当は違うと思う。
子どものおもちゃの型はめのように、ピッタリ同じ気持ちなんてない。
2人のクラスメイトがいて、2人ともテストで100点とって嬉しかったとしても、きっと違う嬉しさだ。1人は勉強が好きで今までいっぱい勉強して、その努力が実った嬉しさかもしれないし、もう1人は親に強いられて勉強して、親が望む点数を、100点をとった嬉しさかもしれない。

親という立場になったって、子どもであろうと、人が感じることは少なからず同じではないだろう。

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