好きです横浜市歌
地元の歌をどれだけ歌えるものなのだろうか。
このnoteを読んで、魅惑の市歌 横浜市歌について綴ってみたくなった。
義務教育を受ける9年間、何の疑いもなく校歌と共にセットで「横浜市歌」を歌い続け、気付けばほぼ歌詞を見ずに歌えるようになり
「えっ、市歌を歌えるの・・・?(引き気味)」と郷土愛教育が行き過ぎているあまりにちょっと引かれる、までがワンセットの横浜市民。
私は幼少期から社会人数年目までは横浜で過ごしたので、小中学校の行事の際は校歌と共に横浜市歌を歌っていた。
オープニングが横浜市歌で、エンディングが校歌みたいな流れが定番だった。
小学校に至っては校歌が出来上がる前に開校してしまった新設校だった。そのため校歌が出来上がる前の行事の際は横浜市歌がヘビーローテーションされていたので、とてもよく覚えている。オープニング、エンディングともに横浜市歌だったのだ。
こういう類の地元の曲をみなさんは覚えているものなのか、ふと疑問に思った。私の場合は、覚えているどころか、むしろ好きな部類の曲だったりする。
1909年(明治42年)7月1日に行われた、横浜港の開港50周年記念祝祭にて披露されて以来、市民に歌い継がれています。作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は、当時東京音楽学校(現、東京藝術大学)助教授だった南能衛(よしえ)氏です。現在も市立の小学校では、校歌とともに歌唱指導されています。開港記念日(6月2日)や卒業式、市大会などの行事で、演奏・斉唱されています。
横浜市歌の公式HPにも、市立の小学校では、校歌とともに歌唱指導されていますと綴られている。
そんな不朽の名曲、横浜市歌はどんな曲なのかというと、実は森鴎外(クレジットは本名の森林太郎名義)が作詞をしている。
流石にSpotifyに無かったので、YouTubeのリンク。一度聞いてみてもらいたい。1分ちょっとだから。
わが日の本は島国よ (わがひのもとはしまぐによ)
朝日かがよう海に (あさひかがよううみに)
連りそばだつ島々なれば (つらなりそばだつしまじまなれば)
あらゆる国より舟こそ通え (あらゆるくによりふねこそかよえ)
されば港の数多かれど (さればみなとのかずおおかれど)
この横浜にまさるあらめや (このよこはまにまさるあらめや)
むかし思えば とま屋の煙 (むかしおもえばとまやのけむり)
ちらりほらりと立てりしところ (ちらりほらりとたてりしところ)
今はもも舟もも千舟 (いまはももふねももちふね)
泊るところぞ見よや (とまるところぞみよや)
果なく栄えて行くらんみ代を (はてなくさかえてゆくらんみよを)
飾る宝も入りくる港 (かざるたからもいりくるみなと)
ド頭の「我が日の本は島国よ」は音程が取りづらく音を外しがちなので、歌うときは注意してもらいたい。
そこを乗り切ると、「連りそばだつ島々なれば」と、とてもリズミカルな部分メロディになる。ここのメロディは幼心に大好きだった。
そして、曲調が変わり、マリノスのチャントでお馴染みの「この横濱にまさるあらめや」がやってくる。ここはトリコロールを頭に浮かべて歌ってもらいたい。
ラストは、冒頭の「我が日の本は島国よ」と同じメロディで「今はもも舟もも千舟」と噛みそうになるがとても印象的なフレーズが出てくる。小学校の時は、全く意味はわかっていなかった。ただただ「いまはももふねももちふね」と頭に刻まれている。
と、こんな感じでとても横浜市歌をとてもよく覚えているのだが、歌の内容を要約すると、昔はしょぼくれた街だったけど、今やめっちゃ栄えてすげぇ港町なんだぞという歌なのだ。これを小学生が歌う。
ちょっと古い記事だけど、横浜市歌が歌える「横浜市民」は約43%だが、「横浜育ち」であれば約86%が歌える!とのこと。
横浜育ちというところが肝だな。今、練馬に住んでるけど、練馬区歌があるのかどうかも知らない。
記憶にしっかりと刻まれるから育つ街は重要ということ。
美味しいビールを飲むと笑顔になるよ。