産後の入院の記録

産後の記録も残しておこう。

周りはみんな出産の痛みの話は教えてくれるけど、出産後の痛みの話をしないのは何故…?笑

自分が無知すぎたのもあり、出産後の方もしんどくないですか…?って今も思い出すだけで震えます。痛さを思い出して…。

骨折後が痛いのは勿論、会陰切開の後も痛いし、子宮収縮も痛いし、なんなら肛門の締まりも緩い気がしたよ私は…。体は筋肉痛だし…。それでも私はどこが痛い?と問われると断然骨折したところでした。

そのため先生が来るたびに、ここは痛い?と聞かれても「そこより何よりも尾骨が痛い」と伝えざるをえず、ボルタレンを飲んでました。

そして何よりも体重もすぐに減らない。出産24時間後は娘の分は減った(3キロ)けれども、翌日以降は浮腫などでむしろ増えた。

お腹なんてへこむなんてもってのほかだ。なんだ?もう一人実は入ってるんじゃないのか?っていう腹のまんまだ。

足なんて象か?ってぐらい浮腫んだ。しかも人より遅く浮腫んだようで、退院前日に浮腫んだ。きっとそれまでは骨折によるショックで浮腫まなかったんだと思う。(踵、毛玉だらけすぎませんか…)

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むしろ、こういう大事なことを学校で教えてくれー!!!


少し叫んだらスッキリ。愚痴ってばっかいないで、当日の記録を。

昼頃娘が生まれ、安静にした後に病室に運ばれたのは夕方18時近くでした。

尾骨骨折した為、ベッドのまま運ばれベッドへ転がされたまま痛みに耐えれず動けなかったけど、点滴スタンドを持ちながら部屋の中のトイレまで歩くことはなんとか出来た。(時間かかりすぎるけど)

私は円座クッションに座ることもできず、人生で初めて寝たままご飯を食べた。箸だけでなくスプーンとフォークを持ってきてくれたのでなんとか食べることができたのだ。(無痛を希望していた為、前日の夜ご飯ぶりの飲食でした)

出産当日の予定はオリエンテーションがあったらしいけど、私は動けない為参加できず何の予定もなしに夫と電話して寝るだけだった。

興奮して寝れないのかなーと思ったけど、ロングスリーパーな私は全然寝れてしまった。くぅぅ

翌日から母子同室になる予定が、私が私自身のことも出来ない骨折野郎だったので、ただの骨折患者の入院みたいなスケジュールでした。

退院日も延びてしまい、これがホルモンバランス変化なのか?!と初めて思ったのはその日の夜でした。同じ日に産んだ人は母子同室で、自分の子の世話をしている。なのに私は、自分のこともできずにただ寝て過ごしているだけ……自分の子を新生児室に見に行く事もできない動けなさなんて……とメソメソ。

その日は落ち込みながら寝ました。

3日目からは、落ち込んだので無理矢理でも世話をしよう!と私は意気込み、助産師の心配を跳ね除け動けます!アピールをしてお世話を開始。甘かった。骨は痛いし全然寝れない…そして産後がこんなに入院スケジュールが忙しいとは思わなかった。

私はとくに1日ロスしていることもあって、固定の曜日にしかこない先生やスケジュール(沐浴指導、産褥体操、調乳指導、母乳外来、エステ)全てが同じ日になってしまい忙しくなってしまった。

コロナ禍で面会もなかったことが色々なことに専念できて私にとっては、良かったかもしれない。これで面会に来られてもなにも出来なかったかもなぁ…なんてぼんやり。

ちなみに楽しみにしていたエステは、尾骨骨折による仰向け寝が出来ないことが理由となり、受けることは出来ず(トホホ)、産褥体操も個別で受けることに(体操ではなく体を見てもらった)

思い描いていた入院とは少し、いやかなり違いましたが日々忙しく、夜の我が子が恐ろしく(エンエン泣きます…)1日1日が早かったなー。

楽しみはご飯とおやつだけ!って感じで。

また同じ日に産んだ人たちが退院した日も落ち込みました。笑

あー、私はまだ入院なのね…って。仕方ないんだけどさ。人と比べるものでもないし…。

それでも家に帰ると病院のご飯は恋しいし、すぐに助産師さんに聞ける安心感も、恋しい。

私は頼ってばかりの甘い人間なんですが…。それでも今日も娘と共に生きてます。

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