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なぜ僕は服を着るのか?

こんにちは。
天候もあって最近とても寒いです。本当にこの前まで夏だったのかわからなくなるぐらい急に冷え込みましたね。毎年この時期の金木犀の香りと、夏服から秋服に切り替わるあの感じがとても好きなんですがそんな季節もすっ飛ばして一気に冬に向かっていっている気がします。
もう少し楽しみにしていた秋を楽しませてくれと思う日々です。
母なる地球よ、少しペースダウン願います。

前置きはここらへんにしておいて、本題に入っていこうかと思います。
”なぜ僕は服を着るのか?”なんて題名ですが、読んだ人全員の首を縦に振らせて納得してもらおうなんてこれっぽっちも思っていません。
今から読んでいただくのは地方の片田舎から出てきた周りの人よりも洋服のことが好きな(自称)22歳の服に対する考え方です。
こんな人もまあいるよな、程度で聞いてください。

突然ですがこのnoteを読んでくださっているあなたには考えているだけでワクワクが止まらず心が躍ってしまう、または色々なことを忘れてそれだけに没頭できる何かがありますか??きっとなにかがあると思います。

それが僕にとって洋服でした。

僕にとっての洋服とは心が豊かな生活を送る為に絶対に欠けてはならないものでもあり、我を忘れて没頭し熱狂することが出来るものでもあり、自分という人間を知ってもらうための1つの媒体でもあります。
お洒落な人はカッコいい、僕もカッコつけたいお洒落になりたい!という理由で興味を持った洋服でしたが今や言葉では到底表すことの出来ない程の、言葉で表すにはおこがましい程の魅力に取りつかれています。
洋服に袖を通した時のあの得も言われぬ陶酔感を味わってから、少しずつジリジリとずっと好きになり続けています。
間違いなく言えるのは洋服の持つ魅力を知ってしまってから、洋服は僕が生きる理由の1つになったということです。

洋服って単体でめちゃくちゃクールなモノもあればちょっと癖があるモノもあって、でも組み合わせ方次第でどうにでもなっちゃうじゃないですか。
そのどうにでもなっちゃった瞬間がとても好きなんです。パズルが組み合わさった瞬間といいますか。脳内アドレナリンがそりゃあもうドバドバ出てきます。しかもその組み合わせはきっと何百通り、何千通り、いや無限にあるんだろうなあ。それをずーーっとグルグル考えているうちにあれ?ここ宇宙?みたいな。宇宙ってここにあったんですね。NASAもびっくりです。
まだ着てないのにアドレナリンが出まくる洋服なんて着てしまったが最後、ライク・ア・津波のように押し寄せてくる高揚感と幸福感に包まれてそのまま雲の上に行ってしまいます。自己肯定感および自信100%状態。
でもそういうものだと思います。着るだけで自分を彩ってくれるものなんです。
僕は古着も着ます。よく漁りに、ん?掘りに??ディグりに??まあ呼び方なんてなんでもいいです。よく行きます。
古着なんてほぼほぼ僕より年上じゃないですか。なかには自分の両親やそのまた両親よりも年上のものもあったりして.....
僕よりはるかに年上なわけじゃないですか。畏敬の念を持って着なきゃいけないんです。というか着るより着させていただくが正しそうです。
その通りだと思います。歴史を身に纏っているわけですから。
その歴史が古着の魅力だと思ってます。

洋服には不思議な力があると思っています。
人を熱狂させたり恍惚とさせたり、誰かの人生を彩ってくれたり救ってくれることもあるかもしれません。
僕はその不思議な力に魅せられたから洋服を着ます。
このnoteでは僕が感じたその魅力を自分の少ない語彙の中から絞り出して皆さんに伝えていけたらなと思います。
時には興奮しすぎて何を書いているかわからなくなることもありそうですが、それはもうご愛嬌ということで..... 

ここまで読んでいただきありがとうございます。
また読みに来ていただけると喜びます。
じゃあ、また。


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