#44妊娠出産/運命の恋
式を挙げて一週間後、主人は先にオーストラリアに戻り、私は数週間まだ日本に滞在した。左手の薬指に光る婚約指輪と結婚指輪を眺めては満ち足りた気分になった。
やっと願っていた現実を手に入れたのだ。友人と会ったり、エステに行ったり、旅行をしたり、充実した時間を過ごし、オーストラリアに戻って1ヶ月が過ぎた頃、予期していない出来事が起こった。なんと妊娠していたのだ。
学生時代から生理痛が酷く、周期もとても不順だった私は、何となくすぐには妊娠出来ないだろうと思っていた。まさかこんなに直ぐに子供が出来るとは主人も私も想像すらしていなかった。
生理が多少遅れるのはいつもの事だったが、念の為検査薬を試した結果だった。
そして、この後どうしたらいいのか右も左も分からない私は、同じ町に住むちょうど妊婦さんだった日本人の友人に事情を話し、助産婦さんを紹介してもらった。
こちらでは妊娠したら助産婦さんに連絡し、最初から赤ちゃんが産まれた後まで基本的に無料でケアをしてくれる。
私の助産婦さんはお母さんの様な温かい人で、ホルモンバランスが崩れて精神的に弱っている時に親身になって寄り添ってくれ、英語が得意でない私にも分かるように簡単な単語を使ってくれたり、本当に良い人だった。
異国の地での初めての妊娠、出産は想像を遥かに超えて大変だった。母は他界し、父は自分には何も出来る事は無いからと、安定期に入り報告した際に即座に言われ、私には誰も助けてくれる人は居ないんだと孤独を感じた。
主人は子供が産まれてニ週間仕事を休んでくれたが、毎日三時間おきにミルクをあげ、全然寝てくれない我が子に二人とも疲れ切っていた。
そして主人が仕事に戻るタイミングで義母が日本からやってきたが、やっと少し休めると思ったのも束の間、義母は到着したその日に何十年も前の育児を私に見せつけ実践し、私に危機感を与え、絶対に子供と義母二人きりにしてはいけないと私は感じ、彼女と過ごした一ヶ月間はとてもストレスな時間になった。
初めての育児は毎日があっという間に過ぎていき、私はただ疲労していた。日本での育児がどういうものか分からないが、こちらは赤ちゃんをどんどん外に出し、お母さんも沢山友達と会う時間を作り、ストレスを溜めないようにアドバイスされた。けれど、母親学級で会った人達とは、私が英語があまり理解出来ないという事もあり、私にとって新たな小さなストレスにしかならなかった。