見出し画像

オトナ女子コミュニティ『オトジョ』代表、青山雅子さん

★青山雅子さんのプロフィール★

1986年京都生まれ。京都工芸繊維大学卒業。卒業後は、化学メーカーに入社し、応用研究・技術開発に携わる。好奇心旺盛な性格に加え「仕事も家庭もプライベートも、やりたいことは全部やる!」をモットーに、本業の傍らイベントの企画運営・女性向けの各種セミナーを精力的に行う。2016年にはミス・グランド・ジャパン ファイナリスト向けの講義も担当。

 約9年勤めた会社を退職し独立。「わたしらしい働き方とは?」を見つけるために現在進行形で日々奮闘中だが、2018年3月合同会社Linoを設立。まずは自身が女性の新しい働き方を実践しているロールモデルになるべく、テレワークにて一般社団法人at Will Workの事務局を務めたり、パナソニックセンターくらしの大学のセミナー講師を担当したり、コミュニティーの運営を行なったりと幅広く活動中。
 プライベートでは一児のママ。ブログ( https://ameblo.jp/linowoman/ )も毎日発信中。

一度きりの人生!楽しまないと絶対に損!だからこそ、仕事も家庭もプライベートも毎日、全部充実させたい!と、オトナ女子のコミュニティを設立している青山雅子さんにお話をお伺いしました。

記者:どのような夢やビジョンをお持ちですか?
青山雅子さん(以下敬称略):私の目標は2つあって、『何でもできる女性になること』と『太陽のような存在でいること』です。色々な仕事をしているけど、その二本が中心軸にあります。とことん、与えられたチャンスに挑戦しています。自分が『これがやりたい!』というのはあまりありません。目の前の人に明るさ、楽しさ、元気さを与えることができたら仕事は何でもいいと思っています。
前職は研究職をしていてたんですが、もともと化学が苦手だったのを何でもできる自分になりたかったので、敢えて苦手なことに挑戦することにしました。その時は営業や接客のような自分が得意な仕事や好きな仕事を選択するという視点はありませんでした。

これからAIが絶対出てくるじゃないですか?『人間にしかできないこと』があると思うんです。自分の存在としての役割というか、自分の軸をもってビジョンに向かって走り続けていたら、人って美しいと思うんです。
自分の価値観とか考え方は、色んな環境や人との出会いによって変わると思うので、私もこの価値観は変わるかもしれないですが、自分の軸を持った人が増えたら良いなと思いますね。
私の軸は、プライベートも仕事も両方楽しむということです。あとは、「太陽のような存在になる」というのは私のテーマです。これがみんなに共通するとは思わないですが、自分なりの軸が明確に見つかって、その軸にそって仕事だったり、プライべートがうまくいくような世の中になったら良いなと思います。

記者:それを具現化するためにどんな目標や計画を立てていますか? 
青山:私のビジョン、夢でもあるんですが、色々な会社の人と関われるようになりたいというのがあります。
まずは’at Will Work'(アットウィルワーク)の事務局のスタッフをやる中で、とことん成果を出すことが大事だと考えています。それが結果的に関わる人たちのためになっていくと思っています。at Will Workは多くの企業・人・団体による事例共有のプラットホームとして「働き方を選択できる社会づくり」を目指しています。1年に1回開催しているカンファレンスを軸に、アワードやコミュニティーの運営なども行なっていますが、ここで私は事務局として、運営上の実質作業全般を担ってますが、at Will Workメンバー内にも、もちろんat Will Workと関わる多くの企業や人にも、明るさ、楽しさ、元気さをもっと与えていけると思っています。
最初から沢山の人に関われるわけではないので、まずは目の前の与えられたチャンスを軸に、関われる人を増やしていけたらいいのかなと思っています。

画像1

記者:その目標や計画に対して現在どのような活動指針を持ってどのような基本活動をしていますか?
青山:普段からモチベーションが上がったり、元気になる、楽しくなるような予定を入れておくことは大事だと思います。
私のモチベーションが上がったり、元気になる秘訣の一つとして、「人と会う」というのがあります。それが、人によっては、人と会うことじゃなくて読書かもしれないし、旅行かもしれないですが、それぞれに合った、自分が元気になる秘訣を定期的に盛り込んで置くことが大事な気がします。

記者:青山さんが「何でもできる自分になる」という夢やビジョンを持ったきっかけは何ですか?どのような発見や出会いがありましたか?
青山:母が手に職がないために離婚がなかなかできなくて、それを見ていて自分は「しっかりしなきゃ」とか、経済的にも精神的にも自立したいという思いが根底にありました。早く自立して、経済的基盤をしっかりしていきたかったので、大学生の時に自己啓発セミナーに参加するようになりました。
そして、5つ会社を経営している猪飼真理子さんとの出会いがありました。at Will Workの理事の方で、私のメンターだと思っている方なんですけれど、彼女は会社を5つ経営しています。1社だけでなく、沢山の会社に関わっている人に憧れます。私も真理子さんのように2、3社同時に関わりながら、仕事をやっていける助成になりたいなと思っています。理由は楽しそうだから!(笑)。ともかく、今の夢やビジョンを持つきっかけとして、真理子さんとの出会いもとても大きかったです。

記者:その発見や出会いの背景には何があったのですか?
青山:私は、「人生一度きり」という言葉を大事にしているのですが、21歳の時に母が49歳で亡くなって、人っていつ死ぬか分からない。もっと自分に出来る事があるかもしれないし、人生一度きりだから、自分がやりたいことをとことんやらないといけないと思いました。
私は15歳の時に両親が離婚して、母と妹と3人で暮らしていましたが、母が亡くなった時、妹は19歳。私は長女ということもあり、「自分がしっかりしなくちゃ」と強く思っていたんです。こんな出来事もありました。母の職場の同僚の方から、遺族年金がもらえるんじゃないかと言われて、年金事務所に行きました。すると法律上、遺族年金は18歳以下しかもらえないということを窓口で知って(当時はスマホなんてなく、家のパソコンのインターネットは調子も悪かったので。苦笑)母の振袖を着て、母に写真をいっぱい撮ってもらった成人式を送った私なら、子供とみなされないのは当然だろうとは思えましたが、成人式すら迎えていない19歳の妹は子供とみなされず、遺族年金ももらえないのか、ということにショックを受けました。母が急に亡くなって毎日泣いていた私ですが、この時も窓口でそう告げられ、泣きながら帰ったことは今でもよく覚えています。制度だからしょうがないと今なら理解できますが、当時まだ21歳だった私は「国」に対して不信感を感じました。

さらに、私の就職の内定直後に、リーマンショックが起きて、派遣切りの時代になって、私の中に「会社不信」が生まれて。・・・って、”不信”って言葉ばかりですね汗。まぁ正直に昔は本当に思ったことなんですが(今はそこまで不信感ないです!苦笑)、とにかく、自分で人生を切り開いて行かなきゃなと強く思いました。そういう経験があるからこそ、『何でもできる女性』になりたいし、そういう女性に憧れて、今実践しています。

記者:お時間いただきありがとうございました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆青山雅子さんの情報はコチラ☆
■青山さんのブログ
https://ameblo.jp/linowoman/
■at Will Workのホームページ
https://www.atwill.work/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

画像2

【編集後記】
今回、インタビューを担当した泊です。
青山さんの「やりたいことを全部やる!」という熱い思いで、人生を駆け抜けていらっしゃる姿勢に元気をもらいました。とても太陽のようなエネルギーで、元気をいただきました!これからも益々のご活躍、祈念しております。

この記事は、インタビュー記事掲載サイト「リライズニュース」マガジンにも掲載されています。