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すべての人の可能性が発揮できる社会をつくる"路-みち"代表、服部悠貴さん

「想い・能力・可能性をカタチに!」というコンセプトを掲げ、『路-みち』という屋号で、コンサルタント活動をされてらっしゃる服部悠貴さんにお話を伺いました。

ー服部悠貴さんのプロフィールー
1984年6月8日生まれ、長野県大町市出身、大阪市在住
路(みち) 代表
大手経営コンサルティング会社へ新卒入社し、営業成績1位を記録。その後、弁護士法人にて法律事務業務全般を担い、ヘッドハンティングにて、卸・飲食業の中小企業の経営者の右腕として、経営戦略の立案、全事業の業績管理、人事責任者として、人事制度構築から運用・採用・教育を担当する。

2019年2月から、『路-みち』という屋号で「想い・能力・可能性をカタチに!」というビジネスコンセプトを掲げて、①マネジメントアシストサービス事業、②デザイン書道事業、③書写教室事業の3事業を展開している。

記者:今年から新しく”路-みち”を立上げ、個人事業主として活動されるようになった背景を教えてください。

服部悠貴さん(以下、敬称略):実は、去年の12月にいきなり仕事を辞めたのがきっかけです。仕事も楽しかったですし、もっともっと事業を成長させたかったというのはありましたが、私がこのまま頑張り続けることが、会社の未来のためによくないと思ったのがきっかけでした。

具体的には、社長から私が動きすぎることが全従業員の甘えを作ってしまう、と言われたことがきっかけでした。当時の私の価値観としては、人は指示だけでは動けないので、まずやり方から一緒につくることが大事だと思って動いてきました。もちろん社長の意見も理解できるんですが、”価値観や考え方のズレ”があったんです。話し合いの結果、私が会社から身を引くことを社長に伝えると、社長の目から動揺が伝わってきました。それを見て、社長に私への依存をつくっていると思い、会社を辞めることにしました。

記者 なるほど。そのようなきっかけがあったんですね。

服部 そうなんです。甘えや依存の関係性ではなく、社長が言うように「1人ひとりが自分で考えて行動すること」が重要だと思いました。本当に必要とされているのかどうか、相手を進化変化できるかどうか、それが私の価値観です。あの時はそれができないと思ったので、私は身を引くことにしました。

記者:そうなんですね。いつ頃からそのような価値観を持つようになりましたか?

服部:この価値観ができた背景として、9歳のときに人生の転機のようなことがありました。夏場の夜、私は長野の田舎に住んでいたので、周囲はほぼすべて田んぼでカエルの声だけが鳴り響いていました。夜中2時頃、怖いなと思いながらもトイレに行ったんです。そしたらトイレの窓が開いていて、満月の光が差し込んでいました。ふと、自分の手を見て、「え?なんで手ってこんな形なんだろう?」「人ってなに?なんで生きてるんかな?」という問いが浮かんできました。

それ以来、「僕(人間)って何だろう?」「僕にしかできないことってなんだろう?」という疑問を持って生きてきました。そして人と比較してしまうことで、「自分が何者かもわからないし、僕にはなんにもない。僕だけができることが本当にあるのかわからない。」と強いコンプレックスを抱えるようになり、日ごとに強くなっていきました。

記者:それはかなり辛いですね。そのコンプレックスは解決したんですか?

服部:その”生き方”に対するコンプレックスを解消するために、「人間」について勉強しようと大学へ行きました。長野の田舎から純粋な思いを持って上京した私は、きっと東京には自分みたいな問題意識のある人に出会える!と思っていたんですが、ほとんどいませんでした。大学では、哲学や宗教を専攻して学び、ある仏教の先生に出会いました。そして、自分にしかできない何かがあるんじゃないかと思い、それを得たくて、大学を辞めて弟子入りしたんです。

記者 えっ! 大学を辞めたんですか?

服部:はい。”私にしかできないもの”をずっと探し続けていた私は、これしかないと思ったんです。かなり周囲から反対されたんですが、全部振り払って、仏教の弟子入りをしました。しかし、あまりにも厳しすぎて、束縛されてる感じがすごく息苦しくて、結局9ヶ月で、なにも言わずに逃げ出しました(笑)。どこかへ行くあてもなかったので、それからは風呂なしアパートの人生が始まりました。全てを捨てて、自分のこだわりを持たなければと思ってやったのに、そこから逃げてしまった自分に失望して、死んだ方がいいんじゃないか、と3年間くらい塞ぎ込みました。
人生の最底辺にいるとき、社会のレールから一度外れると、もう戻ることができないような社会構造を感じて、自分のこれからの将来がとても怖くなりました。それから親に頭を下げて、もう一度大学へ復学させてもらったんです。

記者 人生の転換期を何度も経験されたんですね。

服部 はい。この経験から”もう絶対に自分に負けない”と約束を決めました。ここに至るまで、自己信頼を破り続けてきた人生だったので、自分との約束を守ることを徹底しました。それを3年間やり続けて、”自分は何でもできる人間なんだ”と、初めて自分を認められたんです。それが自己信頼に繋がって、人間は進化変化できるんだと実感ました。冒頭で話した会社を辞めるときの価値観にこのことが大きく影響していると思います。

”心に決めてやり続けたら自己承認ができて、人間はなんでもできる!”というのを自分の体験を通して実感しました。どんな人でも素敵な思いとすごい能力を持っているんです。”機会やチャンスがあれば人は変われる”、だからすべての人の可能性を発揮できる社会をつくっていきたいんです。

卒業後、経営コンサルティング、法律関係、飲食事業などを経験しましたが、その中で一番「経営」が好きなんです。人間としての生き方の面白さが企業経営につまっていると思っています。だから思いをもった経営者や企業とつながって可能性や能力を形化していく事業活動をしています。

記者 具体的にはどんな活動をされてますか?

服部 主にプロデュースの仕事をしています。基本的に、どんな人でも事業を展開できると思っています。まず妻をプロデュースしました。妻は元々、働きたい思いがあるんですが、子どもが6人いるので働くのは難しいんです。でも、やりたいという気持ちをずっと話していて、「書道」をテーマに事業化してみました。やっぱり一番近くにいるパートナーが面白い人生を送っていると、私も楽しいですからね。

誰でもみんな、積み上げてきた思いや能力、可能性を持っています。それを土台にビジネスモデルを考え、お金を生む仕組みをつくり、ブランディングしたら、誰でも自立した生き方ができるんです。

記者 プロデュースするにおいて、心がけていることはありますか?

服部 全て一生懸命やって手を抜かないということですね。あとは、自分自身を好きなように、周りの人のことも好きなんです。基本的に嫌いな人はいません。癖あるな、コミュニケーションを取りづらいなと思う人も、いい思いやいい能力を持っています。この人はこういう形でやったら可能性が開くんじゃないかとか、よく考えるんです。人間って活かし方、活かされ方次第だと思います。自分の持ち場がパチッとはまったら最大限の能力を発揮すると思っています。

記者 どんな美しい時代を作っていきたいですか?

服部 自分自身の思いや能力、可能性を最大限に発揮して、生まれてきてよかったと思える人が一人でも増えていく。そんな時代を作っていきたいです。

記者 「人間」というものを知りたくて、ずっと追求してきた服部さんだからこそ、人の可能性を最大限に発揮させることができるんだと感じました。本日は貴重なお話ありがとうござました。

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服部悠貴さんの詳細はコチラ↓↓
◆Facebook
https://www.facebook.com/yuki.hattori.31
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<編集後記>
今回、インタビューを担当した泊です。人間の可能性への想いの熱量がびしびし伝わってきました!服部さんしかできない人間の可能性をカタチにする”プロデュース事業”のさらなる発展をとても楽しみにしています。これからのますますのご活躍を祈念しています。

この記事は、リライズニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。