一人旅:足利市立美術館「顕神の夢 霊性の表現者 超越的なもののおとずれ」

足利市立美術館の「顕神の夢 霊性の表現者 超越的なもののおとずれ」に行ってきた。ちょっとした遠出だけれどなんだかびびってしまって、前日にはなぜか帰れなくなったらどうしようとか思っていた。疲れちゃったらつらいんじゃないかとかそういうことを考えてしまう。しかしとにかく他にチャンスがないので行ってきた。不安なお出かけのときに本をたくさんリュックに詰める癖が私にはあって、今回は柴崎友香『わたしがいなかった街で』(新潮文庫)、ナンシー・フレイザー『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(ちくま新書、江口泰子訳)、『新潮』九月号を入れた。

一人旅。一人になる。研究を進めなくていいのかという声がするような気がするが、どっちが大切かと考えれば小旅行の方が圧勝で大事である。スマホの電池の消費を抑えるため、必要なとき以外は機内モードにして、メモアプリにどんどん記録をとった。電車で東京駅まで。平日だから大丈夫だろと思ったけど東京駅はとんでもなく混んでいた。お盆なのだった。連休に接続して休みをとる人も多い。そして外国の旅行者と思しき人もたくさんいた。福島に行くのだろうか。みな北上する。新幹線は立っていくことになるかなと思ったけれどギリギリ自由席に座れた。

昨日買ったナンシー・フレイザーの『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』を読み始めた。とりあえず一章まで。資本主義を経済にとどまらない「制度化された社会秩序」として捉えた上で、現在の世界的な様々な危機の根源を資本主義の「共食い」的な性質に求め(「共食い資本主義」が原著のタイトルである)、マルクスの指摘した資本主義経済の条件を成立させるより基本的な(非経済的)条件として収奪、社会的再生産、エコロジー、政治という四つの領域を提示し、これらの自らの基盤たる基本条件を喰らい尽くそうとすることで自らを窮地に追い込んでいることを示す。骨が折れるので休憩のために『新潮』の日記特集に移る。

小山駅に着いた。両毛線に乗り換える。この先どうなるのか不安になって、とりあえず自販機で麦茶を追加購入した。麦茶二刀流。麦茶があれば死にはしない。両毛線はお客さんが自分でボタンを押して開ける仕組み。田園と集落、田園と集落の繰り返し。緑が輝いている。茶や黒の瓦屋根が並ぶ。背景に山。たまにこんもりとした雑木林が現れる。『新潮』日記特集は2022年夏から一年間、一週間ずつたくさんの作家や学者が日記を書き繋いだもの。一年前とは新型コロナウイルスへの構えが違うことがよくわかる。足利に近づくとまた街という感じになってきて、足利駅に着いた。地理的には全然違うかもしれないが、地方の首都から離れた中心の街という趣きで銚子に近い印象だった。

駅舎の待合室でちょっと待って時間を調整して、お昼は鳥常本店というお店で鰻にした。ちょうど足利駅と足利市立美術館のあいだにある。並ぶかと思って少し早めに行ったけど杞憂だった。駐車場の日陰で待った。父は栃木に縁があるので栃木について語りたがる。私が栃木に来たと知ったら父が喜ぶやらがっかりするやらなにか反応しそうだと思った。鰻を食べたとなるとなおさら。鳥常本店のおかみさんが親切で、駐車場で話しかけてメニューを持ってきてくれた。うな重特上、肝焼き、肝吸いで贅沢をした。

『新潮』日記特集、各著者が思い思いの日記を書くわけだが、一週間という終わりの決まった日記である点がやはりただの日記でなく作品という感じを否応なく醸し出し、どの著者も最終日の締め方をそれぞれ一工夫していておもしろい。

鳥常本店の鰻は甘めのタレで身がふかふかしていて美味しかった。隣のテーブルの60代くらいの夫婦が鳥丼とうな重並を頼んだあと、おばさんのほうがまた店員さんを呼んで、この重ね丼というのはどのくらいの量ですかと訊くので、若い店員さんが戸惑いながらえーと、ふつうの一人前ですけど、鳥と鰻が少しずつ乗っているので、と説明して、そしたらおばさんが、じゃあ並で頼んだのを上に変えられます?と急に話を変えたものだから、店員さんはさらに困惑して、え、重ね丼は関係ないんですか?と不審そうな気配を隠しもしないで言っていた。はい、並を上に、とおばさんが言い、重ね丼は関係なくて並を上に変更ですね、と店員さんが言った。緊張感があった。その後バックヤードで今から並を上に変更できます〜?と若干ダルそうに厨房に訊く声が聞こえた。

スマホを片手に持った中年の男性が入ってきてキョロキョロしている。あのう、◯◯って名前で先にもう始めてるって聞いたんですけど、と同じ店員さんに言う。え、え、と戸惑って、一応奥に予約の確認に行って、ないですよねえとか言いながら戻ってきて、店員さんは、あの、鳥常って名前のお店は他にもあって、うちとは関係ないので、わからないんです、関係ないので、と言っていた。たぶん別のお店だと思いますのでと言って帰していた。関係ないということは大切なことなんだなと思った。うな重には茶碗蒸しと漬物もついていて、肝焼きも肝吸いもおいしかった。茶碗蒸しと煎茶は熱熱だったので火傷に注意、というか、あの店員さんが熱いので気をつけてくださいと言ってくれる。本当に熱い。お腹いっぱいで美術館へ。

「顕神の夢 霊性の表現者 超越的なもののおとずれ」よく見るとタイトルが長い。企画者が前のめりな感じがある。出口なおの「お筆先」(出口なおが霊的なものに目覚めてから大量に書き続けた書)から始まるのがすごい。凄みのある匂いを醸す作品が並んでいて、気に入った(と言っていいものか)ものも見つかった。人間の個人的な深みにハマる感触がしたのは宮川隆、萬鐡五郎、崇高なのが齋藤隆、八島正明、超常的なものが相対化され水平化したような現代的なユーモアがあ流のが馬場まり子、中園孔二、O JUNはむしろ理性的かなと感じた。

図録は完売だった。90分ほどかけてゆっくりまわった。子連れのベビーカーの人もいた。うちの子と同じ三歳くらいで、岡本太郎の絵を見てあれ線路じゃない?線路じゃない?と言っていた。割と若い人が多いように思った。

草間彌生がポップに受容されるのと関係があるだろうか、霊的な体験をした人はつぶつぶや泡状のもの、渦巻きを描くことが多い。その中に顔が浮かぶことも多い。ムンクの太陽も少しそういう要素がある。

藤山ハンの絵は怖くて直視できなかった。なんの因果かソファがその目の前にあるから座ったけど。森川真さんもTwitterで書いていたけど、八島正明「給食当番」と藤山ハン「幻獣ケンムンと画者像」の並んだ壁はすごかった。https://twitter.com/mmww/status/1677557469256773635?s=20

そういえば、戦争が直接的な契機になっている人はほとんどいなかった。八島正明が広島で「人影の石」を見て創作を始めたという重たいものがあったが、他にはあまり戦争の影がないように思われて不思議だった。現実が過酷だと霊は去るのかもしれない。

東武足利市駅まで歩いて先に特急券を買うことにした。予定より一本早い特急で帰ろうと思ったら運休になっていて、結局予定通り帰ることになった。

美術館近くまで戻り、喫茶店に入った。いいお店だった。時間までここで過ごした。店主の夫婦が二人でカウンターを挟んで小型テレビを見ていた。テーブル席には私と他におじさんが一人。本棚にジパングとか人間交差点とか北斗の拳とかとにかく喫茶店らしい漫画がたくさん揃っていて、おじさんはそれを読んでいる。おかみさんは薄い愛想で静かに接客し、最初は歓迎されてないのかしらとも思ったが、夫婦で話すときも無表情で小声だったのでこれが普通なのだろうと思った。『新潮』日記特集、おもしろくてどんどん読んでしまう。柄谷行人はやはり思考が深い。日記でも思考している。古川真人さんは私とほぼ同じ年だが毎日のように誰かに電話していて、私はもう中学以降はケータイでメールだったから電話の習慣がない。

昨日店内に懐メロを流すトンカツ屋で20代くらいの男たちが飲み食いしていて、もんた&ブラザーズのダンシングオールナイトが流れ始めたときにさすがにこれは知らないっすとか言っていたけれど、うちら夫婦は好きなのでこれいいよねえと言い合っていた。小声でモノマネしたりして。私らも世代ではないが、若い人は懐メロとしてももう80年代は聞かないのだろうか。そのあと中森明菜のセカンドラブになった。この時期の中森明菜もいい。北ウィングとかも。

足利では渡瀬川にかかる橋を歩いた。浅く流れて水面は丸く揺れていた。黒い川底に水面が白くきらめく上に川釣りの竿が横切って、黒いゴム靴のおじさんたちが点々と並んでいる。橋の上は風が強くて日傘が煽られ、そこでなんだか来てよかったなと思った。

帰りの電車は東武リバティ。車内で柴崎友香『わかしがいなかった街で』を読む。足利を離れるとやはり田園。サギがいた。遠くに山。夏らしい雲。送電線と鉄塔。重機。通過する駅に高校生くらいの男女だけがいてよく日焼けしていた。感傷マゾというやつか。恋という感覚がもう戻らないというのは錯覚なのかもしれないが、しかしあの十代の激烈な、熱を持った、体ごと飲み込むような、肌の触れ合い、溶け合い、染み込みが私の全てになってしまうような、諦めを知らない欲望はもう戻らないという予感、もう私とのあいだに断層が走ってしまったという完了形でしか名指せない現実が、たしかに感じられる。

貯水池のようなものは干上がって底の泥だけが水気を残していた。今週は台風の影響で関東も雨の予報だったが今日は晴れた。空が広く、山から離れつつあるのがわかる。雲は遠く。

羽生を過ぎて住宅地が増えてきた。久喜。中学高校と通学で乗った電車の終点がしばしば久喜だった。久喜では限られたドアしか開かないらしい。不遇な久喜。車内から見える自動車教習所には大型トラックが何台も並んでいた。

またしばし田園。こんもりと溢れるように雑木林。日が当たらない側の席をとったのでブラインドを開けて景色を見ることができる。

「わたしがいなかった街で』も20章から八月に入った。主人公の砂羽はふいに仕事を辞めますという言葉が口に出る。広島や長崎、終戦のことはこれからどのように書かれるだろうと思ったが、明確には書かれなかった。

久喜の次は東武動物公園。その次はもう北千住だ。あっというま。かつて東武線で通学していた。今とは別の場所で暮らす自分もありえるのだと一人で遠出をすると思うのだな。しかし同時に今の自分は今の生活と密着していることも思い知る。電車はずっと南下を続け、西陽が車影を東側に作るから、私の席からは車両の輪郭が、パンタグラフもくっきりと見え続けている。

もう1時間も乗っている。車窓から景色を見ているとあっというまだと思ったけれど、景色を書き記しているからあっというまだったので、見ているだけなら退屈だったかもしれない。書くという行為を挟むと心中に去来するものが変わってしまう。書かないときにやってきてまた消えていくものを書くことは難しい。書くことに時間をかけていられるのは機内モードにしているからで、Twitterの時間がないのが大きい。越谷を過ぎ北千住が近づいてきた。もうすっかり都市に入城している。

違う生活であった可能性。違う自分だった可能性。しかしそれはすでに失われた可能性でもある。

受験塾のenaが見えた。渋谷のイメージだったけど東武線沿いにもあるんだ。他にパノプティコンみたいな建物があった。なんだろう。東武線も住宅のあいだを縫っていく感じがあっていい。徐々にいつもの風景に戻ってきた。乗り慣れた線に乗り換えた。

柴崎友香『わたしがいなかった街で』239頁「発射された弾丸や爆弾が空中を進んでいき、地上を爆破するまでの、そのあいだのわずかな時間。破壊は決定されているにもかかわらず、まだその破壊が訪れない、その何秒かの、しかし最後に向かっていく限りなく永遠に近く感じられるその時間。/爆弾が落ちてくることがわかっているのに、そのときにはすでに爆弾は投下されていて、誰も止めることができない。時間はあるのに取り消すことはできない。少しでも遠くへ逃げるか、なんとか物陰に隠れて、すでに決められていた破壊を見ることしかできない。/目撃した人は、考え続ける。もし、あれが発射されていなければ、もし、あの場所にいなければ、もし、戦争が起こらなければ。/起こらなかったことについて考えるのは、難しい。」取り消すことのできない時間。

241頁「もうすぐ戦争が終わった日になるが、それは別の年の戦争がまだ終わっていない日でもある。」

電車の車内広告の女優さんの名前が思い出せず、しばらく考えた。夏帆だった。駅で立ち食いうどんを食べた。冷やしかけうどんに梅干しをつけた。大正解だった。

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