鬱と育児が大変だった9月の話①〜ほぼ鬱の話〜

9月は大変だった。大事な試験が終わったら一気に鬱になってしまって、精神科を受診して相談した結果、大学院を休学することにした。そのあと子供が熱を出してしまって、コロナではなかったけどもこの熱が長引いて一週間保育園を休んだ。熱が下がって二日登園したら、今度は保育園の関係者に新型コロナ陽性者が出て、休園になった。ほぼ二週間以上、子供が保育園を休んで家にいた。保育園を休むということがどういうことか、子供ができる前はあまりよくわかっていなかったけど、今はうんざりするほどわかっている。まず大人がついていなければならないので仕事を休む必要が出てきて、その職場への対応も気を遣うわけだけれど、やはりなによりも一日中子供と一緒に家の中で過ごすというのが途方もなく大変である。

一応自己紹介をしておくと、私は精神科医をやっていて、うつ病もやっている。こうやってたまに調子が悪くなりそのことを報告するのだが、いったいどの立場でうつ病について話しているのかという問いが常にあって、差し当たり自分に課している決まりは「当事者」と名乗らないことで、そのことは以前のブログにも書いた。私は患者として私のうつ病を経験していて、同時に精神科医として私のうつ病を見ているが、その見ている私も私であるから患者としての経験と精神科医としての理解が循環構造を作って切れ目がなくなる。一人称の経験が三人称のもとで対象化されてまた一人称の経験となる。こういうループ自体は精神科医でなくても生じるには生じて、熱心な患者さんは医者の医学的な説明を律儀に自分の経験に当てはめて理解しようとする。だから世の中の闘病手記は似たり寄ったりになり、それは医療としてはありがたいというか、有益なことである。私の場合は、精神科医として三人称的に私自身の経験を対象化する行程を何周も回すことができるから、自分の経験もその理解のための準拠枠も本当に確かなものなのかわからなくなってくる。

いわゆる荷下ろし鬱というものがあって、一生懸命取り組んだ物事が終わると、その結果の善し悪しにかかわらず鬱になるパターンのことである。これを対象喪失という術語で説明することができるけれどもそんなことはどうでもよくて、もう少し大きな話がしたい。私は鬱になると大きな話がしたくなる。それについて少し続ける。

普通は鬱の徴候として小ささや少なさを取り上げるのがわかりやすい。たとえばうつ病性の妄想には微小妄想というそのままな症状があるし、その他にも発語や体動の少なさ、応答の遅延、食欲減退、体重減少などがわかりやすい鬱の徴候である。一方で激しい焦燥感が生じてじっとしていられない状態にもなりえて、昔は激越などと呼ばれたけれども、そういう過剰な面を見せることもある。ただ、私が言いたいのはそういう側面での小さい/大きいではなくて、もっと思考の面でなにか大きなものとの関係を拗らせてしまうというか、思考が大きなものに絡めとられてしまうというような、そういうことが鬱のときには起こる。あくまで私はそうなのだという話に限定したいところではあるのだが、しかし昔から精神科医のあいだで議論されていたことでもある。鬱のときには小さい方向と大きい方向が同時に存在して、その拮抗が上述の通り身体的なエネルギーや思考の流れといった領域で観測できる。ここに感情の領域も加えて気分の高低も考慮すれば、クレペリンが想定した躁うつ病の概念にほぼ重なる。当時はうつ病は躁うつ病の一種と捉えられていて、うつ病と双極性障害を別の疾患と捉える現在主流の考え方とは異なるけれど、うつ病の、特に思考の領域で大きな方向への力が働いているという洞察は鋭いと思う。

で、大きな思考って何よ、ということなのだが、要は大それたことを考えてしまうということで、これだけ聞くと躁病の誇大妄想のようなものを想像すると思うのだけど、うつ病に現れる大きなものへの志向はそれよりも見えにくい。今回の私の場合を例にすると、もうこれ以上無理だーとなったときに、この際大学院も辞めてしまおう、そもそも学位が欲しくて入ったわけでなく、学問に触れたくて、勉強したくて入ったのだから今はもう在学に未練はないし、そもそも、医学部に入ったのも同じことで、興味のあることを学べたんだからそれでいいじゃないか、はい、辞めてしまおう、と考えた。ここで言いたいのは退学するという決断の妙な思い切りのよさではなくて、それよりも、「そもそも」「そもそも」とどんどん根っこを掘りさげていってしまっているところを問題にしたい。鬱のときの思考は、もっと確かな根拠、もっと正しい基準、もっと深い確信、そういうものを求めて地を掘り、空に昇る。私は正しさに触れている、そういう感覚が日常の経験を裏打ちしはじめる。鬱の持つ大きさとはこういうことである。これを一般的なうつ病の症候論にあてはめるとすると、たとえば微小妄想や貧困妄想の訂正不能性にあたる。鬱の人の悲観的な考えを聞きながら、なんて頑なで傲慢なのだろうと呆れたことのある人は精神科医でなくても結構いるに違いない。そんなに自分を卑下したいなら勝手にすればという気持ちになる支援者・家族も多かろうと思うのだけど、その背景にはこういう事情、体験、というか体験を支えるものの変容がある。

実はこの大きな正しさへの傾向は鬱になる前から私の中にあって、それがやたらと高い理想や高邁なビジョンにつながり、当然それは思ったとおりにはうまくいかないからどんどん負債が溜まっていく感覚になり、追い詰められたと感じるようになり、鬱になる。鬱の自給自足をしている。勝手な話なのである。これも精神医学では古典的にうつ病論として語られていて、インクルデンツ、レマネンツといった術語が使われ、日本では何十年も前にメランコリー親和型性格と発病状況論という術語が提唱されてその概念が花開いた。ちなみに、この論のキモは生来の気質が環境と相互作用の末に過重労働や低い達成感など本人を追い詰めるような社会・心理的な状況を形成しているという点で、読者の方々には、この生物的要因と心理的要因と社会的要因の美しい連結を味わっていただきたい。私自身、実際に体験してみると、こういう有名パターンの鬱がたしかにここあるのだと感動する。その感動をこそ伝えたいのだが、別にいい話ではない。

と、すでに長々と書いてきたが、このような大仰な思考が展開されている状態で私はかかりつけの精神科を受診したのだけど、もちろんこういうことを話すのではなく、実際には、急に鬱になっちゃって、これ以上頑張れなくて、とぼそぼそしゃべる。これは頭が回らないといううつ病の症状が現れているとも言えるのだけれど、実はそれだけではなくて、むしろ、考えていることが大きすぎて自分の言語化能力を超えていて、説得的に話せる気がしなくて言葉が少なくなっている。これは自分が鬱になって発見した。これを精神科医が読んだら精神病的だと考えるかもしれなくて、それはそれで正しいのかもしれないけれど、あまり既存の症候論の枠組みの中だけで聞いてほしくはないなあと個人的には思う。

また話が逸れたけれど、患者である私がこう言うのを聞いて主治医はどうするかというと、とりあえず決断を先延ばしにさせてまずは休息をとらせる。もうこれはワンパターンである。鬱即休息。疲れちゃったんじゃないですかね、大学院のほうをどうするかは教官の先生にも聞いて決めたらどうでしょう、大事なことですし。そう言われる。うつ病の治療は、決断を先延ばしにして休息をとることが第一で、そこに加えて私のようなパターンのうつ病には比較的薬物療法が効きやすい人が多いことが知られている。だから休息と薬物療法。それは当たり前のことで、私も精神科医だからそうなるに決まっていることは受診前には知っていて、それはそうなのだけれど、私が実際にそれを聞いてどう思うかというと、いや、そういう話じゃないのよ、そんな軽い話じゃないのよこれは、というふうに考える。うーん、伝わらないかな、そんなに矮小化しないでほしいな、こればっかりは、大事な話なのだから。そう思う。

ある種のうつ病患者に対する精神科医の仕事は、実はこの矮小化という過程が決定的に重要になるのかもしれない。うつ病を「内因性」疾患として、身体的な不具合の結果として理解するのも、うつ病の疾患性を身体という有限なもの封じ込めて、超越論へ向かう思考に枷をはめることだ。そうすると結果的に思考もしぼみ始めるのだからまったく不思議なものである(この現象を当たり前だと思わないでほしい)。笠原嘉の有名な「うつ病の小精神療法」というものが知られていて、それは上に書いたようなうつ病の疾患性の伝達や決断の先延ばし、休息の指示、回復過程の見通しの伝達など9項目に及ぶ対応の指針であるけれど、興味深いのがここに「小」という断りをつけている点で、これは内海健も「うつ病の精神療法不可能性」と称して指摘していてさすがだと思うのだけど、鬱の心理や思考の領域にはみだりに接近してはならぬ、それを治せるなどと思ってはならぬ、ただ問題を矮小化せよ、そしてそーっとしとけ、という教えの表現なのだと思う。

だから鬱からうまく回復する過程には、多かれ少なかれ問題の矮小化が生じると思う。要は、なんだ大したことないじゃんという気づきで、これはまず重荷だと思っていたことが軽くなるという感覚で始まると思うのだが、裏を返すと、それまで大事にしていた大きな正しさが目減りすることでもあり、つまりは大事にしていたものごとに対して幻滅する。これはさらに深い鬱に落ちうる深淵だから、実は怖い箇所である。ただしほとんどの精神科医は上述の通り自分自身の視界を戦略的に狭めているから、この恐怖に気づきもしないでどんどん踏破していく。これは全く皮肉ではなくてうつ病治療において大事なところだと私は思っていて、同時に、私のうつ病体験が精神科医としてのハンデになっていると感じる所以でもある。

ところで、とここまで来てまた話題を変えるのだが、休学を決めてからとにかく気持ちが楽になった。自分の都合でやってもいいんだ、そういう自由があるんだという気付き。これを自己効力感と言ったりもするけれどその辺はどうでもいい。教育を受けるかどうかを自分で決めるなんていかにも大人の所業だとしみじみと感じ入っている。風通しがいい。本当は休学をすすめたのは主治医なのだが、都合よく私の手柄になっていて、私が私のことを決めたのだと自信を持って安心している。まあそれでいいのだ。精神科医は最後に忘れ去られるくらいがちょうどいい。

今回は本当はうつ病の話なんかしたくなくて、その後の保育園休園がつらかったということを伝えたかったのだけど、なぜかこんなに書いてしまった。しかもかなり読みにくいクセ強な書き方をしてしまった。誰の役に立つのかわからないし、むしろ精神科医療にとって邪魔な内容かもしれないのだが、書いてしまったものはしょうがない。これでも遠慮がちに書いている。近いうちに保育園休園について書きます。ここまで読んでくださってありがとうございました。

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