2022年4月7日:幸田文とわかしょ文庫と『まんが道』

大学でパソコンをいじっていた。脳の画像研究の結果を図示するソフトウェアを教わったのでひとつひとつコマンドを調べながら現時点でのデータを投入してみたら一応表示できた。今の教室には画像研究に慣れた教官がいないので全部いちから手探りで独学している状態で、そんなんでたいそうな研究になるとも思えないのが正直なところだけれど、まあ地味でもシンプルにデータを解析してみようと思う。

何時間も慣れないパソコン操作をしていたら肩が凝ったので休憩した。昨日『生活考察』というエッセイ雑誌を読んで懐かしさを感じて、そういえばエッセイが自分の読書体験の出発点にあると気がついた。今日は家を出る前に本棚からちくま日本文学の『幸田文』とわかしょ文庫の『うろん紀行』を手にとり、精神科の勉強用の本と一緒にリュックに入れてきた。つまみ食いしやすいのがエッセイ本のいいところである。

幸田文の巻頭は「勲章」といって、父である幸田露伴が文化勲章をおくられたときのことを綴ったものだった。端正な語の使用と流麗な語りが心地よいが、内容は苛烈だ。厳しい超自我、そして父への愛憎。

午後、小石川へ行った。久しぶりで行く実家。親にも子にも隔てはないというものの、何かが皆いすかの嘴にぐれてきている上に、無沙汰をしてはなおさらのこと、親しいだけにいやなこともこまごまと重なっていた。金のこと、義理のこと、人情のこと。父は私を憐れんでいるのもたしかであったが、同時に疎んじ、癪にあわっているのも私は決して見のがしていず、会うにはまずさきに見を固くせずにはいられないような畏れをもっていた。父という人は変な人だった。ひっぱたいたその鞭で、すぐに花の美しさ雲の美しさを指して教え、腑わけをした庖丁でたちまち美味を味わせた。私のまわりの誰もがそういう芸当をもっていなかった。惹かれる力には底づよいものがあった。忸怩たる心と尾を掉りたい気と、どこまでも拒絶したさと謙虚に愛されたさと。

ちくま日本文学 幸田文, 2007, 20頁

露伴に一言祝辞を述べたあと幸田文はすぐに帰宅してしまうし、その後の盛大な祝賀会にも欠席をする。経済的な困窮という引け目もあったようだ。幸田文は自分から目を逸らさない。

きりっとした気持ちになって一旦本を閉じ、Twitterをのぞいたら藤子不二雄Aの訃報が目に入った。そうか、と思ってわかしょ文庫『うろん紀行』の目次を開くと、藤子不二雄Aの『まんが道』についてのエッセイがあった。『うろん紀行』は小説などの作品にまつわる場所を訪ねた紀行文である。なかなかの偶然である。

わかしょ文庫さんは就職後のつらさの中で『まんが道』に出会い、才野茂(藤子・F・不二雄がモデル)のかっこよさ、才野と満賀(Aがモデル)の太い関係に感激したらしい。2020年にトキワ荘ミュージアムができた際に訪れ、松葉で(ラーメンではなく)チャーハンと餃子を食べ、チューダーを飲んで帰ってきたそうだ。

私は小説が苦手なのと同じく漫画も実はあまり読めなくて、手塚治虫や藤子不二雄、横山光輝、白土三平、つげ義春、水木しげる、などなど名前は出てくるけどもこういった「古典」のようなものはあまり読んでいなくて、ちょっと劣等感を感じている。なんでだか、読むのがためらわれる。教養的に読むのが嫌なのかもしれない。わかしょ文庫さんのようになりゆきで『まんが道』に出会いたい。いつかそんな日がくるかもしれないけれど、来ないかもしれなくて、それならがんばって読んだほうがいいのだけど、それも疲れちゃう、という三すくみ四すくみな構図になっている。

やけに体が痛いと思ったら、そういえば今日から朝のランニングを始めたのだった。うつ病の治療に伴って体重がかつてない領域に入ってしまって、危機感をおぼえてしかたなく走ることにした。走ったあとのこの疲労感が嫌で避けていたのだが、案の定これだ。明日には筋肉痛が来る、いや最近筋肉痛が遅くなってきたから明後日かもしれない。しかし明日も少しは走る。さすがに痩せたいのだ。

いい読書をしたので連続で日記を書いてしまった。今夜は豚バラ肉で厚揚げ豆腐のスライスを巻いて焼き、味噌味の炒めものにする。ネギとニラを入れる。子供はあまり食べないと思われるので子供用には少量のパスタを作る。ミニトマトと舞茸でいいだろう。最近子供は帰ってくると玄関で「えっとねえ、えっとねえ」と言って「トラックにショベルカー乗ってた」など何らかの報告をしてくれる。今日はなんだろうか。

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