日記2023年11月④

2023.11.20

作業しようとドトールに来たら研究用のノートを家に忘れてきたことに気づいて出鼻をくじかれた。卒業に向けて日程がギリギリなのに週末小さな学会に演題を出すハメになっていて、今からスライドを作る。適当でいいですよと言われているから本当に適当にする。

一昨日の夕方近く、眠くなってきて挙動が不注意で落ち着きがなくなる頃に、下りのエスカレーターで子供が足を滑らせて落下した。4、5段ほど落ちて体が縦に一回転半したところで逆さまに上がった脚を掴んで止めた。肝が潰れたが、こめかみから頬にかけてエスカレーターのステップで擦りむいて、3本の筋が入っただけで済んだ。目にかからなくてよかった。子供の体は柔らかい。

3歳になるとなんでも自分でやるという気持ちが強くなってきて、親の言うことは聞かないし、なんなら親に指示を出して言う通りにさせたがる。思った通りにならないとめちゃめちゃ怒る。エスカレーターも危ないから止まるように言っても歩きたがり、止めると怒るから、いつか何かしらの怪我をするだろうと思いながら妥協して見守っていた。そうしたら派手に落ちたわけである。

車の追突とエスカレーターの落下と事故が続いて非常に運の悪い週になったけれど、どちらも大した怪我なく済んだので運がいい。

親は子供の安全を確保するために強権的に子供を制止する。安全が守られる一方で子供の自由は大きく損なわれる。これ/ここは危ない物/場所であるという認識によって子供と世界の関係も制限される。世界の可能性が縮減される。世界が単純化することで安全に関する即時の判断が可能になる。安全についての即時の判断とは不安に駆動された行動ということである。不安は世界を単純化し、反対に複雑な世界は人を不安にさせる。すごくペシミスティックな言い方をすれば、親は子供と不安をやりとりすることで世界を痩せ細らせている。

もっというと、危ない物/場所の判断は人にも向かう。人は多様である。だから危ない。不安になる。こういう人は危ない、怖い、そういう判断のタネを、直接ではないしても、親は子供に与え続けている。偏見は安全の確保から生まれる。子供の生存という親の最大の使命が必然的に偏見を生む。当然、これは差別の話である。差別というものが分離される前は人の差別は物/場所の差別と一体化して禁忌と呼ばれたかもしれない。親は子供の中にせっせと禁忌という温かいベッドをこさえ、子供はそこでぬくぬくと育つ。

親というのはげに悲しいものである。子供の自由を殺し、世界の多様性を殺し、差別の中に子供を囲い込む。それが人間を育てることで、私は毎日そういうことをやっている。いささか否定的な見方であるし、そのような否定のもとに人間を見るのはある意味で時代遅れなものかもしれないのだが、しかしこう見ることが今度は逆に人間の複雑さ、多様さを捉え直すことにつながる。一旦失われた野生の自由を大人になる中で再び新しく作り直しているのだと考えることができる。

2023.11.22

眠くて週末の学会発表のスライドを作る気になれないからまたこうして日記から始めているがいよいよ日記にも書くことがない。というか書きたいことがないのかもしれない。日記を書きたくないというのはおおごとである。大学に博士論文などを提出しないといけないので最近ずっと切羽詰まっていて、疲れがたまっていたわりに幸い鬱にもならずここまできたが、この一週間ほどはわずかに精神的不調の雰囲気を水面化に感じるような気がする。嫌な感じを感じるような感じがする。「鬱覚」みたいな第六感である。

なんとか12月上旬の締め切りまで持ち堪えてほしいものだけれど、こればかりはわからない。このあたりでゆっくりと休めばうつ病を回避できるのかもしれないけれど、ゆっくりしたら卒業できないわけで、そんなことになったら猛烈な喪失感と自責感でうつ病にならずとも激鬱だろう。かといって猛烈に頑張ればいいかというとそういうわけにもいかないわけで、できる範囲でそこそこに乗り切るのを目指すことになるが、それでもうつ病にならないとも限らないわけで、なんというかもう諦め半分で、しかし同時に自分の舵を握り続けるしかない。なんともいじらしく地味な結論である。

要するに目標を最低ラインに設定して頑張りすぎないようにすればいい。実務上のスキルとして、仕事の質と量と納期のバランスをとって余裕をもたせた現実的な目標設定をする。次に、実際にやれるようにスモールステップ化して適度にご褒美を用意する。そうすればいい。

うん。そうなのだが、何か言い足りないことがあるような気がする。このような解決法というのは人間の行動を予測して制御するための要素からなり、簡潔さと無駄のなさが美徳なのである。だから余計なことに口出しをしない。今の私に関して言えば、こうやって日記を書いているという事実が全く切り離されている。この日記はスライド作りの代わりに書いている。書くことがないにもかかわらず。私はなぜ今こうして日記を書いているのか。たしかに、スライド作りから逃避するために日記を書いているのだろうという説明が成り立つ。日記のほうが楽で楽しいから日記を書いているんだろうと。しかしこれでもまだその機能を説明しているにすぎない。なぜ日記を書いているのかという問いには、なぜ他ならぬ今、他ならぬ日記を書いているのかという含みがあり、そういう偶発的であり必然的でもある具体的なものこそが、制御のためのスキルの理論が触れないところなのである。

これはスキルの問いから対象関係の問いに移ったと言えるかもしれない。偶然的な対象が、その人の個別的な歴史において蓄積された経験のネットワークに支えられて必然の相を帯びる。その対象が過去の重要な対象の代理の代理の代理の代理の、、、であり、物や人との関係はそれらの対象との関係の反復であると考え、そこには一貫した対象との関係の仕方の個性があり、ときにそれが症状として問題化する。これを乳幼児期の根源的な対象関係に還元することを目指すといかにも精神分析的な話になっていくが、ここではスライドと日記が問題なので浅く考える。大事なのは、今私が日記を書いていることが、スライド作りの代理であると同時にスライド作りとの間の重要な関係の反復であるということである。つまり日記を書くことによって得たい(のに得られない)対象、書くことで得たい(のに得られない)愉しみは、そのままスライド作りとの関係においても求められていてる。

対象の希求が終わりのない旅であること(精神分析の終結というのは精神分析の最大の問いだ)を考えれば、日記もその過程の一時的な通過点であり、いつかは日記から離れる。いつかと大袈裟に言わずともそのうち子供の幼稚園の迎えに行かなくてはならない。むしろそうやって移ろうことに救いがある。こうして日記を書いているうちに見えてきた大事なもの、悦びは、スライド作りにおいても追いかけることになる。だからスライド作りに戻ることができる。日記を迂回することでスライド作りに戻ることができる。流されていくことができる。思えば精神分析的な病理の説明は「固着」であった。人間は決して満足することがないということが問題なのではなく、一つの(不)可能性にしがみついて離れないことが問題なのである。だから何度でも迂回する。このように動的な見方ができるのが対象関係という概念を浅く適用することの利点だと思うのだがどうだろう。

うつ病の回復期に発病時を振り返って、たとえば仕事との関わり方、職場の人間関係のあり方に問題があったと考える患者さんがいる。完璧主義すぎるとか、要領が悪いとか、理屈っぽくて嫌われてしまうとか、馴染めないとか、スキルの不足や偏りをうつ病の「原因」と考えて直そうと努力しようとする。しかしそういった広義のコミュニケーションのあり方というのは、「原因」ではなくて「結果」、現象の基礎ではなく表面ではないだろうか。これを対象関係として見直すと、精神病理学の昔ながらの理論に近づいていく。うつ病患者では仕事が重要な対象になっていて、仕事に同一化して自己愛的に仕事という対象に関わっている。その自己愛的な同一性の保持が秩序志向、几帳面、他者配慮という特徴に結実しているわけだ。この自己愛的な対象関係がうつ病治療の一つの大きなアポリアになっていて、こんなものはなかなか治療できないんじゃないのという悲観論がうつ病の精神療法論に通底している。根源的な自己愛的な固着はどうにもならんのではないの、ということだ。

ここで、対象関係論を浅く適用してみるのはどうか。仕事という対象から、一旦別の代理の対象へと迂回する。他に大事なもの(の代理)が見つかる。それはまた仕事という対象に戻っていき、自己愛的な関係を反復するだろうけれども、また何度でも別の対象を迂回することができる。一つの対象には固着しない。たくさんの代理がある。うつ病の発病契機は対象の喪失である。迂回する対象があれば、仮に自己愛的な対象関係が反復されていたとしても、対象喪失のダメージは軽くないか?(精神分析的にはそうではないかもしれないが...)うつ病的な「病理」が残り続けても、うつ病なりに生き続けられるのではないか? 治癒はしないけど平気な顔で生きられるんじゃないのか?

この日記は学会発表のスライドの代理である。現実的な代理ではなく、私の空想上のスライドの代理である。私はスライドにこういうことを書きたかったのかもしれない。だけど現実の学会発表は当然こんな内容ではなく、統合失調症の患者さんのデータの解析である。全然違うな。ウケる。私の発表なんかに意味あるんだろうか。既に私は幻滅していて、対象を喪失しているのである。だから日記に書くネタもない。でも大丈夫。こうやって何度でも迂回すればいい。そして子供のお迎えの時間が来た。スライドは進んでいない。

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