日記2024年6月⑦

6月20日
晴れ。幼稚園のプール開きなので子供に持っていく水着とタオルを選ばせてプールバッグに入れた。荷物がいつもより多かった。私はマッサージに行こうか迷ったが、マッサージは受けたあとしばらくだるいし予定を入れるとその前後で結構動いてしまって疲れる面もあるんだよなと思ってやめた。いい選択だったのかわからないが、とりあえずゆっくり過ごすことにした。
ちあきなおみを聴いていたら寝ていて、宅配便のピンポンで起きた。精神科の本だったので開けずに置いておいた。
この数日の日記に調子が悪いということばかり書いてあったことについて考えた。そのとき生活している本人としてはいいことも悪いこともあり、一生懸命やっているのだが、記録を残すとどちらかの側面に収束していき、全体の印象が濾過されて抽出されてくる。一度記録し、二度目に見返すと驚きになって私に帰ってくる。心理療法で使われるセルフモニタリングの技法はこの二度の変曲点で分節されている。二つのくびれを挟むことで半分他者になった自分が現れる。この半分他者の自己を参照しながら今の自己を捉える。また、繰り返していればさらに過去の半他者と比較することも可能になる。心理療法の変化は記録と振り返りという二つの分節を反復することで初めて自覚されるのである。
今日もやはり調子が悪く、食事も水分も少なめになってしまう。先に風呂に入らせてもらって、洗い物などをして早めに寝たが、お腹の調子が悪くなって夜中に起きた。

6月21日
小雨。大きな傘でいくか折り畳み傘でいくか、普段の靴でいくかレインブーツでいくか、選択が生じる。なんだか弱気な気持ちで雨に負けそうな気がしたので大きな傘にレインブーツにしたが、雨は思っていたよりずっと弱かった。食欲がなく、朝はスープだけにした。
外来の合間にサンドイッチとおにぎりをつまんだ。
体調を考えて早退した。妻にもそうしなさいと言われた。帰りの方が雨が強かったのでちゃんと大きな傘を持っていてよかった。帰って今日もちあきなおみを聴いた。
夜も簡単に食事を済ませて横になった。妻は部屋の片付けをしていたので申し訳ない気持ちになり、ごめんよごめんよと謝った。何も生まない謝罪をただ繰り返しているとうつ病になりたての頃を思い出す。ごめんと言いつつ許される気はなく、いつまでも自分を責めることで周りを攻撃するようなところがうつ病にはあり、かといって謝罪をぱっと止められるものでもない。馬鹿みたいな謝罪を反復しながらその中でも何かを変えていかないといけないのだがそれも簡単なことではない。ひとつの方法は、言葉で自分を責めつつ心の中ではそれを本気で受け取らないでおくことかもしれない。そんな器用なことができたら最初から苦労はしないわけだが、うつ病で痩せてしまった言葉はそのまま形骸化させ、それ以外の態度や顔や身振り手振り、接触なども含めて非言語的な要素で信頼できる人とコミュニケーションをとっているうちに、うつ病的なワンパターン思考をしょーもないものとして放っておけるようになるのかなという気がする。表に出していることとは違う裏側の領域を作って大事に守っておくとも言える。今日私は、申し訳ない、許してほしい、と唱えながら妻のふくらはぎに頭突きしたりしていた。自分を責める空虚な言葉よりも接触を求める頭突きが大事であるのは言うまでもない。鬱でつらく、言葉で自分も他者もチクチクやりたくなるわけだが、その欲望にまとめきれない別の愛着的行動の願望を持っておく。別の領域を大事な他者との間で育てておく。自責感はあってもほったらかせる。

6月22日
曇り。子供のピアノ教室。子供は先生の前だと活き活きとふざけはじめて、親としては頭を抱えるのだが、先生は全然怒らず間髪入れずにあれをやろうこれをやろうと課題を出しては褒め出しては褒めを繰り返して子供はずっと楽しそうである。妻も同じくらいの歳からこの先生に習っていて、先生の初めての生徒だったから今でも交流があるのだが、妻も小さい頃はしゃべってばかりで全然練習しない子で、先生としゃべるのだけが楽しみでずっと通い続けた自覚があるらしく、今になってそれが恥ずかしく、子供が自分と同じ道を辿っているのが赤面せずにはいられないらしい。ちゃんとしなさいと言いたくなるがそこは我慢して先生と子供の関係に侵入しないようにしたい。
宮城野部屋(今は看板を下ろしているが)から出てきたおすもうさんがうちの子に「バ〜イ」と手を振ってくれた。子供も嬉しそうだった。おすもうさんを「おすもう」と呼び捨て(?)にするので「おすもうさんね」と訂正した。
ドトールで休憩してから帰った。ドトールは最近政治的な動きが好きではないから足が遠のいていた。しかし、都心ではわからないが地方にいくとドトールがその地域の大事な集合場所だったりして、店員さんもそのつもりで気が利いていたりするから複雑な気持ちになる。
うどん屋でうどんを食べ、本屋で絵本を買って帰った。パンどろぼうと、時計の読み方を教えてくれる絵本というか、スピーカーとかギミックのついたやつ。
妻は髪を切るので私たちは先に帰った。

6月23日
子供が少し咳をしていて、体温も高めだった。もともと今日は後輩夫婦とその赤ちゃんと会う予定だったのだけれど赤ちゃんが発熱して延期になっていて、さらにうちの子も風邪をひいたかたちである。幼稚園や保育園でプールや水浴びが始まって風邪が流行りやすい時期である。子供は元気なのだが出かけることは避けたく、しかし親はなんだかだるくて眠い。私が二度寝しているあいだに子供が妻にべったりになって大変だった。その後私が食料を買いに出て、妻は寝た。子供はスマホを見たり絵本を読んだりして我慢しながら遊んで、私も寝たり起きたりで付き合った。
明日幼稚園に行けるか微妙なところである。いつも通りなら私が休みだから問題ないのだが、明日は事情があって非常勤先の上司の代理で出勤することになっている。上司のお母さんが危篤なのである。上司とは性格的には違うと思うのだが仕事でのものの見方はかなり近いものがあり、互いに信頼していると思う。よく大学の悪口を言いあうのは秘密である。上司は一人部長という状況で、なかなか休めないのだが今回はさすがに私に頼んでくれた。地元に戻ってお母さんの付き添いを続けながら、めずらしく私に長文のメールを送ってくる。私たちは仕事で人の死にも肉親を亡くした家族に関わるけれど、だからといって当事者になるのがうまいわけではない。物分かりがよくなるわけではなく、そのことに自分でも驚いて呆れるものである。初期研修で現場に出て最初にはっきりと意識したことは「一人の人が死ぬのは大変なことなのだ」ということだったのをいまでもはっきり覚えている。上司へのメールはあまりくどくならないようにしながら丁寧にひとつひとつ返している。
妻は16時過ぎまで寝ていた。かなり疲れていたようである。メロンを半玉切った。妻が起きてきたことで子供も元気になり、外に行きたいと言ったので、傘をさして少し散歩した。コンビニで少しおかずを買ったら妻のビニール傘が盗まれていた。盗った人は足の小指をぶつけてほしい。夜は豚肉とピーマンの塩炒めを作った。
仕事がうまくいくかどうか考えてしまって鬱々としてしまうので、その都度いかんいかんと頭を振って別のことをするようにした。考え事を上手にするのが最近の課題である。

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