読書:阿部大樹『Forget it Not』

阿部大樹さんの『Forget it Not』を読んだ。精神科医で翻訳家でもある阿部さんのこれまでの色々なテキストをまとめたもので、中には国内の精神科の雑誌に載ったものも複数あり、私は2018年にそのうちの一つを読んでから阿部さんの書かれるものを楽しみにしていた。

forget-me-not。勿忘草。書名から最初に連想するのはこの言葉だろう。「forget it not」という表現はたぶん英語の慣用句ではなくて、しかしこの両者を重ね合わせたときのその差分が、本書の重層的な内容を照らすひとつの光源になるのではないかと思う。

forget-me-notーー「私を忘れないで」と恋人に一握りの花を投げた青年の「私」は「-(ハイフン)」によって繋ぎ止められた、対象としての「me(私)」である。私=勿忘草は愛でられ、飾られ、恋人たちのそれぞれの思いをその身に受け、意味を持ち、枯れて、朽ち、捨てられる。それは忘れられない想いと、捨てられるその身に分裂するということだ。何かが捨てられ、何かが固定される。著者はそれをよしとしない。そのように繋ぎ止められた「私」を解放し、捨てられた何かを忘れることを悔やむ。固定された「私」よりも前にそこにあった「it」を探し求める。著者にとって忘れてはならないのは「私」がそこに存在していたという状況、「事実」としての「it」である。「it」は忘却と否定の間で浮遊する、一片の雪ような、断片である。著者は小さい頃から大学まで新潟におられたようだ。雪が積もり、折り重なり、災害のように一帯を飲み込む、それが繰り返される。掻いても掻いてもそこにあり続ける「現実」たる怪物に対し、一片の雪の「it」は想起の中にしかない。想起というのは、体験であり、その全体に限りはない。また想起とは不完全あり、事実としての体験を全てくまなく照らすものではない。想起はフラクタルであり、断片である。雪の一片のように。想起は必ず見失われる。この本はそのような「it」を〈中心に〉して書かれている。

「me」は「it」である、というのは、H・S・サリヴァンが、個とは状況の結節点であると述べたことと通底している。ちょうど著者が翻訳した『個性という幻想』というサリヴァンの著作集も出版されたばかりである(講談社学術文庫, 2022年)。表題となった「個性という幻想」という講演録でサリヴァンは、人の思考、行動を出生から間断なく続く環境との相互作用として理解しており、これはむしろ現代の読者は当たり前ではないかと受け取るほうが多いかもしれないが、サリヴァンと阿部さんのこの問題への光の投げかけ方は、そのような素朴な我々の怠惰を浮かび上がらせる。そこにあるのは歴史とマイノリティ、差別の問題である。

サリヴァンは20世紀前半のアメリカで同性愛者であった。著者もまたルーツを外国にもち、日本では「ハーフ」と呼ばれてしまう。彼らはともに「マイノリティ」としての問題に向き合わされてきた。著者は以前ルース・ベネディクトの『レイシズム』も翻訳している(ベネディクトも同性愛者である)(講談社学術文庫, 2020年)。著者は本書の中で「いまレイシズムという言葉は、一人ひとりに各々たった一つの属性だけもたせようとする圧力の全体を指すようになっている」と述べる(『Forget it Not』165頁)。私たちは日常的に、社会的な線引きを個人に帰属させ、そのように帰属させた「特性」を社会的に示すように、それらしく振る舞うように強いている。このような循環運動こそ「個性という幻想」であって、私たちは常にこの運動に堕ちていく。差別をしている。

サリヴァンが当時の精神医学の世界で孤独に抵抗を続け、精神疾患という「個性」を対人関係へと解消しようとしたのは彼が差別される存在であったことと無関係には理解できない。サリヴァンにとって対人関係論が差別への抵抗とともにあったように、著者は、差別への抵抗を歴史を掘り起こすことの中に求めている。精神医学の歴史、人種差別の歴史、性差別の歴史。

排除されたことの印象は、考えて理解されるものではなくて、思いがけず熱いものを触って手を引っ込めるときのような、まず第一に反応である。生理的な反応が先にあって、熱源について考えたり「そういえばそういう兆候もあった」と気付くのは後々のことだ。言葉にならないもの、指先に触れた感覚は、いつまでも生々しく覚えておくことが難しくて、後付けされた理屈とか後悔だけがずっと残る。言葉になるのはこの後付けされた部分である。

『Forget it Not』115-116頁

著者の書き起こす歴史は、それを唯一の物語として正誤を争うというものではなく、史料の中にある「事実」の断片ーー「it」ーーを探すこと、人がたしかにそこに存在したという、歴史の結節点としての人の痕跡を探り当てる営みである。それは忘却と否定の間に浮遊する「it」であり、想起によってしか触れられない。そのような想起が著者の抵抗であり、この本の重層的な内容をひとつのものに結びつけている。

このようにして私たちは「Forget it Not」という書を理解することができる。

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