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「ソヴィエト社会主義共和国連邦」という名称について考えてみる(4):バルト語派

今回はソ連のSSRの公用語のうち、バルト語派に属するリトアニア語とラトヴィア語についてまとめてみたいと思います。

バルト語派に含まれる現代の言語は通常、この2言語だけとされています。バルト語派内の分類では西バルト語群と東バルト語群とに分けられ、リトアニア語とラトヴィア語はどちらも東バルト語群に属します。
では西バルト語群にはどんな言語があったのかというと、有名なものでは古プロシア語があります。プロイセンの語源になったプロシア人が話していた言語です。かなり歴史ある言語でしたが、非常に残念なことに18世紀には死語となってしまいました。

バルト語派の言語の特徴

現代のバルト語派の特徴としては、概して、現代語なのに印欧語の古い特徴をかなり保っていることが挙げられるでしょう。名詞類には7つの格変化を保っており、特に男性の主格では -s で終わる形が保たれているためラテン語や古典ギリシャ語のような古風な響きがあります。
例えばリトアニア独立運動に関わった「国父」とされるヨーナス・バサナヴィチュス(Jonas Basanavičius)の名前など、とても古風な感じがしないでしょうか。現大統領のギターナス・ナウセーダ(Gitanas Nausėda)のファーストネームもクラシックなかっこよさがある響きの名前だと思います。
ラトヴィア人も例えば元首相で欧州委員会上級副委員長兼貿易担当欧州委員のヴァルディス・ドムブロウスキス(Valdis Dombrovskis)などがいますが、特に2022年に43歳の若さで亡くなったサッカー選手のアンドレイス・ルビンス(Andrejs Rubins)の名前のように子音+ -s となることが多いのがラトヴィア語の特徴です。

印欧語の中でも非常に古風な特徴としては、動詞の未来形を作る際に接尾辞の -s- が出てくるところも挙げられるでしょう。サンスクリットとか古典ギリシャ語とかをやったことのある方だと「おぉ!」と興奮すること間違い無しの特徴です。例えば「私が与える(未来)」は、リト duosiu、ラト došu、サンスクリット दास्यामि (dāsyāmi)、古希 δώσω (dōsō)です。

音声の面では上昇調・下降調などのピッチ・アクセントを持つこともこの両言語の特徴です。その際、短母音+鳴音(l, m, n, r)の組み合わせも二重母音のような扱いとしてピッチ・アクセントが置かれることも面白い特徴です。

スラヴ語派と共通する特徴としては、語彙のほかに、音声的には共にサテム語グループに属することや、文法的には目的語の否定属格があることなどが挙げられます。

逆にスラヴ語派の諸言語と異なる特徴として、バルト語派では属格による修飾が前置修飾となること、またスラヴ系言語が名詞を派生させた形容詞を使いがちであるのに対してバルト語派では名詞の属格による修飾を好むことなどが目立つ気がします。

それではリトアニア語とラトヴィア語によるソ連の正式名称とその構造について見ていきましょう。

リトアニア語

リトアニア語でのソ連の正式名称は Tarybų Socialistinių Respublikų Sąjunga(タリーブー・ソーツヤリスティニュー・レスプブリクー・サーユンガ)です。

正式名称の参照先は以下のとおり。

正式名称を構成する各単語の品詞で言うと、「名詞―形容詞―名詞―名詞」の順となります。
前回見たスラヴ語派東スラヴ語群の言語では「名詞―形容詞―形容詞―名詞」でしたが、形容詞が一つ減って名詞になっていますね。

Tarybų は「評議会」という名詞の複数属格形です。単数主格は taryba で、女性名詞となります。ロシア語を用いるのではなく固有語を使用していますね。ロシア語の совет と同様に「ソヴィエトの、ソ連の」という意味だけではなく、Europos Taryba「欧州評議会」のように一般名詞として「評議会」や「会議」の意味を表しています。
東スラヴ語群ではこれが形容詞化していましたが、リトアニア語では名詞の属格で、前置修飾なので前に置かれています。

Socialistinių の意味は見た目どおり、「社会主義の」で、こちらは形容詞になります。これも女性複数属格形となっていまして、男性単数形だと socialistinis、女性単数形だと socialistinė となります。形容詞ですので、修飾している次の Respublikų と性・数・格の一致をしています。

Respublikų の意味は大丈夫でしょう。「共和国」です。上記のとおり、Socialistinių と性・数・格の一致をしていますので、これも女性名詞で、複数属格となります。単数形は respublika です。ロシア語経由での借用語となるようです。

ここまでで「評議会制を取る社会主義共和国たち」になりましたね。よりリトアニア語の品詞の構成に近づけて直訳的に言うならば「評議会たちの社会主義的共和国たち」でしょうか。
単数主格、つまり一国の SSR だと Tarybų Socialistinė Respublika となり、「リトアニアSSR」は Lietuvos Tarybų Socialistinė Respublika になります。ちょっと注目してほしいんですが、「評議会」の部分はソ連の正式名称に出てくる形と同じで、つまり複数属格です。やはりソヴィエト国家というものの構造として、多種の「評議会」が階層的にいくつもあるのを基礎とする、という発想があることが伺えます。
ちなみに Lietuvos は「リトアニア」を表す名詞の Lietuva の属格です。ここでも形容詞ではなく名詞の属格ですね。

最後の Sąjunga が「連合」や「同盟」の意味になります。これも女性名詞ですね。意味上、当然ながら単数です。固有語ですが、語の構成としては są- と junga の2部分に分けられ、są- は「共に」という意味を付加するスラヴ系言語の接頭辞の sǫ-(東スラヴ語群では су-)と同語源のようです。junga の部分は、「繋げる」「一つにする」という意味の動詞 jungti と同根で、これは De Vaan (2008) によればロシア語の иго「軛(くびき)」と同源のようです。

以上を踏まえると、グロスは下記のようになります。

Tarybų Socialistinių Respublikų Sąjunga
Council.GEN.PL Socialistic.GEN.PL.FEM Republic.GEN.PL Union

ラトヴィア語

ラトヴィア語でのソ連の正式名称は Padomju Sociālistisko Republiku Savienība(パドゥォムユ・スォツィアーリスティスクォ・レプブリク・サヴィエニーバ)になります。

ラトヴィア語では o は一部の外来語を除いて「ウォ」の発音になるようですね。

正式名称の参照先は以下のとおり。

https://stradnieki.org/files/LPSR_Konstitucija_1978.pdf

先にグロスを示すと以下のようになります。

Padomju Sociālistisko Republiku Savienība
Council.GEN.PL Socialistic.GEN.PL.FEM.DEF Republic.GEN.PL Union

上のグロスをご覧になってリトアニア語との違いがおわかりでしょうか?ほとんど同じですが、2語目について「Socialistic.GEN.PL.DEF」としています。そうです。ラトヴィア語ではなんと、形容詞に定と不定の区別(英語の冠詞の a と the に相当)があり、それぞれ変化の仕方も異なるのです。

余談ではありますが、スラヴ系言語でももともとは形容詞で定と不定の区別があり、不定の形はほぼ名詞と同じように変化し、定となる場合は形容詞の末尾に代名詞を組み合わせていました。多くのスラヴ系言語では、少なくとも格変化形にはこの代名詞が組み合わさった形が引き継がれています。

Padomju は「評議会」という意味の女性名詞 padome の複数属格形です。リトアニア語と同じく固有語で、一般名詞としても「評議会」を表すようです。

Sociālistisko は意味はもちろん「社会主義の」ですが、先述のとおり、女性複数属格の定変化形です。男性単数主格の不定形は sociālistisks、女性単数主格の不定形は sociālistiska ですが、定形は男性単数主格 sociālistiskais、女性単数主格 sociālistiskā となります。ついでに男性複数不定形、女性複数不定形、男性複数定形、女性複数定形は主格でそれぞれ sociālistiski、sociālistiskas、sociālistiskie、sociālistiskās です。

Republiku はもちろん「共和国」の意味で、単数主格形が republika の女性名詞です。

ここまでで意味的には「評議会たちのザ・社会主義的共和国たち」ですね。単数主格形だと Padomju Sociālistiskā Republika です。リトアニア語と同様に「評議会」の部分が複数属格になっていますし、「社会主義の」という形容詞は女性単数定形ですね。
「ラトヴィアSSR」は Latvijas Padomju Sociālistiskā Republika で、最初の単語は Latvija「ラトヴィア」の属格です。

Savienība は「連合」「同盟」を表す女性名詞ですが、語源的には「繋げる」「一つにする」「結びつける」という意味の動詞 savienot に名詞を派生させる接尾辞 -ība をつけたものです。savienot は、「共に」を表す接頭辞の sa- と、viens「1」から派生した動詞 vienot「つなぐ」の組み合わせでできています。


以上、バルト語派の2言語でした。
次回は残る印欧語として、モルドヴァ語(ルーマニア語)、タジク語、そしてアルメニア語についてまとめてみたいと思います。

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