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【イタリアの安田侃 vol.1】 ミラノの目抜き通りで彫刻展

1991年の春、ミラノの目抜き通りでひとりの日本人による野外彫刻展がスタートします。

ミラノの象徴、ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)の横、高級ブティックが並ぶコルソ・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通りに、安田侃の大理石とブロンズの彫刻12点が設置されました。

1970年にイタリアに留学して以来、大理石とブロンズの創作活動を地道に続けていた安田侃。1990年、サッカーのワールドカップ・イタリア大会を祝う展覧会「彫刻の道 '90」がミラノで開かれ、30人の彫刻家のうちの一人に選ばれました。そこに白大理石の《妙夢》を出展します。このとき安田侃は、マラドーナがウィンドウショッピングをしているところをパパラッツィたちに追いかけられている様子を見たそうです。

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ちなみに、1987年までドゥオーモ前広場とヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通りは車の侵入が可能でしたが、ワールドカップ開催を前に歩行者専用となりました。大規模なイベントを変化のチャンスと捉え、人に優しい街にしていこうという、イタリア人の気概が感じられます。

それまでのイタリアでの活動がミラノ市に認められ、1991年、安田侃は380メートルの通りを一人で埋めるという大役を任されます。当時のインタビューで答えています。

今回、僕の展覧会をミラノ市が世界に向けてボーンとだしてやろうというのは、一外国人である彫刻家が二十年間もイタリアで一生懸命勉強し、修行して、ようやく世に問える作品を創れるようにまでなったと、それをミラノ市がバックアップして世界に出してやろう、世界に見せてやろうということなのです。市が主催する展覧会における本当の意味は、そういった若きアーティストたちの目標となり、希望へとつながることなのです。イタリアという国の文化的、芸術的な層の厚さっていうか、伝統というのは懐が深いのですよ。

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ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通りに隣接するショッピング・アーケード「ガッレリーア」には、「リッツォーリ・ガッレリーア」や「リブレリーア・ボッカ」など老舗の本屋がいくつかあります。それらの店頭に、期間中、自分の展覧会図録が飾られたとき、「ミラノに認められた」と嬉しかったそうです。

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「リブレリーア・ボッカ」に興味を持ち、調べたところ、1775年に美術専門書店としてトリノで創業したとのこと。約250年前から本屋があったのかと驚きますが、1774年に日本では杉田玄白・前野良沢・中川淳庵らが蘭書『ターヘル・アナトミア』を翻訳し『解体新書』を出しているので、出版業会もそれだけ発展していたのでしょう。

二カ月間の予定で始まった展覧会は、好評だったことから期間が延長になり、五カ月間の開催となりました。またブロンズの《帰門》がミラノ市内の公園に永久設置されました。

ミラノでの野外彫刻展は、46歳の安田侃のその後の創作活動に自信を与えたのでした。

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