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大型類人猿とは

大型類人猿とは、アジアに棲むオランウータンの仲間、アフリカに棲むゴリラの仲間、そしてチンパンジー・ボノボの仲間を指す用語です。慣習的に用いられますが、分類学上の正規の名称ではありません。生物分類学的には、「霊長目(サル目)ヒト科の動物のうち、人類(ヒト亜族)以外の種」となります。

IUCN(International Union for Conservation of Nature and Natural Resources: 世界自然保護連合)は、絶滅危惧種のカタログであるレッドリストにおいて、大型類人猿を7種に分類しています。オランウータン属が3種(ボルネオオランウータン、スマトラオランウータン、タパヌリオランウータン)、ゴリラ属が2種(ヒガシゴリラとニシゴリラ)、そしてチンパンジー属が2種(チンパンジーとボノボ)です。大型類人猿がこのように7種に分類されるようになったのは最近のことです。

私が大学生の頃に買った、ネイピア&ネイピアの「世界の霊長類」(1987年、原書は1985年)では、大型類人猿はわずか4種に分類されています。オランウータンとゴリラがそれぞれ全体で1種、チンパンジーとボノボです。ボノボは当時ピグミーチンパンジーと呼ばれていました。そして、かれらはヒト科ではなくオランウータン科に分類されていました。

私と同世代かそれ以上の方は、動物園の彼らの展示の解説版に「ショウジョウ科」と書かれているのを記憶している人がいるかもしれません。ショウジョウ(猩々)とは中国の古典に登場する想像上の獣の名前でもありますが、オランウータンの和名です。ちなみに、チンパンジーとゴリラの昔の和名は、それぞれ「クロショウジョウ」、「オオショウジョウ」です。

大型類人猿がオランウータン科からヒト科に変わり、かつ種数も増えた背景には、生物を分類する基本的な考え方の変化と、分子遺伝学の進歩があります。現在主流の分類法は系統分類と呼ばれ、分類群は類縁関係を反映すべきという考え方です。オランウータン属(Pongo)、ゴリラ属(Gorilla)、チンパンジー属(Pan)、ヒト属(Homo)の類縁関係を見ると、まずチンパンジー属とヒト属が最も近縁で、ついでこれら2属とゴリラ属がひとつのまとまりを作り、オランウータン属が少し離れています。従来の分類(ヒトをヒト科、それ以外をオランウータン科とする分類)は、この類縁関係と矛盾するのです(図1)。


図1:従来の分類は系統的な類縁関係と矛盾する

また、分子遺伝学の進歩により、ヒトや大型類人猿のゲノムの構造が明らかになり、ヒトと大型類人猿はそれまで考えられていたより近縁であることが判明しました。二つの「科」に分けるよりも、ヒトと大型類人猿をひっくるめて一つの科にするのが適当だということです(図2)。


図2:系統的類縁関係を反映した現在の分類

加えて、同種と考えられていたゴリラ、オランウータンも、生息地によってゲノムに変異があることが分かりました。さらに、野外研究の進展によって、生態にも違いがみられることもわかりました。その結果、ゴリラとオランウータンはそれぞれ2種、3種に再分類されました。だから、大型類人猿は昔は4種だったのがいまは7種になった、といっても、ジャングルの奥地でこれまで確認されていなかった新種が発見されたわけでも、進化して別種が誕生したわけでもありません。あくまで、人間による分類の仕方が変わったというだけです。

大型類人猿の分類がオランウータン科からヒト科に変わった頃、大型類人猿保全に関わる人々は、さかんにそれを宣伝しました。曰く、「大型類人猿はサルではない。サルかヒトかといえば、むしろヒトの仲間なのだ」と。私も、一般の人々に向けた講演会などでは、そのようなことを言っていました。また、オーストラリアなどでは、大型類人猿に人権を認めようという運動も起きたりしました。逆に、人間の超越性を信じる人々の中には、大型類人猿を「ヒト科」に含めることに強い拒否反応を示した人もいたと聞いたこともあります(真偽のほどはさだかではありませんが)。

しかし、こうしたことは、今思えばいささか滑稽です。私たち人間が勝手に分類体系を変更しただけで、かれらが変わったわけではないのです。それを根拠に、彼らに対する見方をあらためましょうというのはなんだかヘンな話です。

とはいえ、名付けや分類というのは人間の思考にずいぶん影響を与えるものですね。昨年のサッカーワールドカップで、日本代表の久保建英選手が、ドイツ戦のあと、サウジアラビア代表がアルゼンチン代表に勝利したことに刺激を受けたとインタビューで話していました。サウジアラビアと日本とは、地理的にも、文化的にも、民族的にもずいぶんちがうと私は思いますが、FIFAの地域分けで同じアジアにまとめられていることで、こうした親近感をもたらし、結果的に日本がドイツに勝つなんていうことを引き起こしてしまうわけですから。

大型類人猿の分類の話にもどりますが、かれらをぜんぶひっくるめて「ヒト科」にしたということには、ほのかな人間中心主義を感じます。なんならヒトを「オランウータン科」に含めることにしてもよかったはずで、系統分類学的には何の矛盾もありません。この分類を決めた人たちは、「人間はオランウータンの仲間である」よりも「オランウータンは人間の仲間である」ということにしたかったのでしょうか?
(もっとも、これはいささかうがった見方です。従来から、オランウータン科とヒト科の上位分類群は「ヒト上科」だったので、「ヒト上科ヒト科」のほうがより自然です)。


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