Vol.406 3月28日 効率化と魔法

GFX50R + GF50mmF3.5R LM WR

拡張した世界というかそういうのを撮ってみようと試行錯誤している時(先週)のひとコマ。上下方向に伸ばすのはワリと簡単なのだけど、真っ直ぐ伸ばそうと思うと難しくてシビア。
画面下部はちょこっと潰れて写っていて、観覧車の下側は普通のサイズで、反転して、反転して上部が少し歪んで写っています。
デジタル時計の表示が逆さでしょ、なんで反転しちゃうんだろうね?不思議です。

何かにぶつけたのかGFX50Rの外装が一部剥げてきて、マグ合金っぽい萎える色の下地が出てきて「なんだかなぁ」と思っています。
マグ合金は強くて軽いハズだけど、地の色が好みじゃないんだよ。

合理化が進む事を歓迎する一方で、合理化を否定したい自分がちょくちょく顔を覗かせます。マグ合金とかカメラの自動化についてもそうだね。賢くなればなるほど、のめり込めないっていう不思議な反比例があるように思うし、軽くて強い新素材の採用を歓迎する一方で、昭和のカメラに憧れを覚えたりもします。官能性という言葉で説明できちゃうと言えばそのとおりなのだけどね。
LEDより豆球のが好きだったりね。

最新のプリント技術を見て「綺麗だ・・・」って思った数秒後に、旧来の銀塩写真見て「うぉースゲー」って思っちゃったり。技術は、より良い体験を得るためにあったのだと思いますが、アナログで枯れたものに魅力を感じる不思議があります。
まぁ銀塩についてはそもそも枯れたのかどうかも今となっては分からないけれどね。ココで言う「枯れた」というのは十分に成熟した技術の事を指しています。

以前、光栄なことに著名なレーサーの隣に乗せてもらうことがありました。頑固な人って言えば分かるかな。車はスポーティなモデルだったので、自分で運転した時は「自分なら買わないかな」と思う乗り心地だったんだけど、その人が運転するとメチャクチャ乗り心地が良い。ビックリしました。
Gの掛け具合とか抜き方が上手いので頭が揺れない。車がフラフラしないから頭が揺れない、が理由なのだと思いますが真っ直ぐ走ってても違うのよ。

技術や経験という名の魔法で人間が何とかしてしまうところに魅力を感じちゃうよね。そういう魔法には魂というか凄みみたいなものが宿ると思っています。


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