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だらける

昨日は時間を大きく切るとやるべきことが捗らない話を書きました。そして、その原理を辿っていくと自己肯定感や世界への期待値に紐づくのではという話。

"だらける"とは?

「この時間は研究しよ〜」と言って昼食後の4時間をブロック。
ところがいつの間に正面の窓からは綺麗な夕焼けが。

何度このような体験をしたことか。
夕焼けを見た時に僕は"だらけてしまった"と思う。
"だらける"とは、期待していた成果を得られずにある程度の時間を過ごしてしまったことを言うのだろう。

だらけるとは生産的に時間を使う認識のもとで発生するらしい。

何を生産する?

だらけない時は何をしているのか、だらけた時との違いを見て、"生産的"とは何か、何を生み出しているのか考えてみる。

だらけなかったときの例からは、字の如く何か形あるものを生み出した場合と未来に向けて行動したときが当たりそうである。
だらけたときは、外的欲求や刹那的欲求で時間を使った場合が当たりそうだ。

僕は何のために行動するのか

何のために生きるのか、何のために飯を食うのか、何のために働くのか。
何のために話し、何のために聴き、何のために泣くのか。

今を生きているのか、未来を生きているのか。

刹那的欲求に時間を使った場合に時間を無駄にしたと感じるようだが、そもそも時間は刹那の集合を知性により認知したものではないのか。
人生を積分で捉えるのか、未来から下ろして今を微分して次の瞬間を生きるのか、この瞬間を感じるのか。

書き連ねて、まとまらなかった。
次は時間についての本でも読んでみようと思う。


説明が下手と言われ続けて10年超。
文章に自信なし、思考止まりで実行ハードルが高い人が毎日noteを書くことで修行しています(from 2024/01/13)。
X(Twitter): @yutoumetsu

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