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大切なことはヨガが教えてくれた。

何かの授賞式で女優さんが言っていた。

「輝く女性像とはどんなものだとお考えですか?」
ーー「芯のある女性ですかね。」

昔からずっと、人の言うこと為すことが気になってそれに合わせていたわたしは、芯のある女性ってどうなったらなれるんだろうと、思っていた。

昔から人の顔色ばかり気にしていた。友人がそれが好きだと言ったら、わたしも好きになったような気がしたし、対自分じゃないのに誰かがぴりぴりしていると胃が痛くなった。誰かに渋られたらあっさり自分の意見を変えた。誰かに嫌われるのが、ずっと怖かった。幼い頃からそんなだったわたしには、自分の芯が、どうやったらできるのかわからなかった。

週に一度、ヨガのレッスンを受けることが定着して2年ほど経つ。はじめてヨガのレッスンを受けたのはたしか高校生くらいだったが、楽しさがとってもわからなかった。やっと、8年くらい経って楽しくなってきた。

ヨガでは、不安定なポーズを取ることが多い。それでも、その不安定なポーズの中で自分の安定を見つけそこに留まることが大切とされる。

腕は前に出しているから身体も前に持っていかれそうになるけど、そこを下半身で反対に同じ力で引っ張り続けたり、上半身は上に伸びるけど下半身は大地に根付かせたり。はじめは今までの自分の癖などがあり、全く安定できなかったものが、次第に上下左右に引っ張る力を客観的に自分で見つめ、感じ、調整し続けることで、不安定なポーズの中で呼吸をし続けられる安定を見つけられはじめてきた。

身体だけではなくて、精神的な安定、芯も同じ感じなんだろうなあ、と思ってきた。昔までは、自分の近くの友人や家族、学校、それらの世界が全てだと思っていた。だから、そこで嫌われたらわたしのこれからは終わってしまうと思って、そこにしがみつくしかなかった。

年齢を重ねるにつれ、世の中で起きた様々な事実に色んな解釈をもつ人がいるということがわかった。SNSによって近くの世界だけではなくて、遠くの世界や深い世界なども容易に知ることができる。

それらの得ることができる情報に対し、ただ傾倒するのではなく、たくさんある情報の中で、「自分はそれらを踏まえてどう感じるか、どう思うか」それを自問自答していくことで芯が出来上がっていくんだろうな、と思う。たくさんある情報の中で、一歩引いて、対局するものを見つけ、その中で自分のポジションを探っていく。そのためには自分の心を動かしそれに耳をすませつづけることが大切なんだと思う。

ピアノの調律師を主人公とする映画『羊と鋼と森』を見た。その中で、はじめて一人で行った調律で失敗をしてしまった主人公に、主人公の憧れの調律士が自分の目指す音の話をする。それは原民喜が憧れの文章を述べた随筆の言葉だった。

明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体……私はこんな文体に憧れてゐる。だが結局、文体はそれをつくりだす心の反映でしかないのだらう。
原民喜『砂漠の花』より

この文章を聞いたとき、やっぱり相反するものの中で、いかに自分が安定してバランスを取って立っているか、が大切なんだろうな、と思った。対極を織りなす価値観の中でいかにどちらにも引っ張られすぎずに生きれるか、そこに「いい音」や「いい文章」など心を映し出したすえの表現があるんだろうと感じた。

コロナウイルスという名が連日ニュースで騒がれるようになって1ヶ月以上経っただろうか。いつ収束するかわからない事態に、色んな情報が毎日目まぐるしく回っている。自分たちにできることが少ないばかりに、いろんな情報に過度に対しどこに立っていればいいのかわからなくなる。そんなときこそ、いろんな情報にのみこまれるのではなく、それらを踏まえてどう自分は考えるのか、と一歩下がった考え方が大事なんだろうな、と思う。

そんなことを、わたしはヨガに教えてもらったんだろうな、と思う。

#ヨガ #羊と鋼と森  

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