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Labo日記:11

学振提出終わったー!!
解放感がすごい。辛かった。色々重なって本当に辛かった。
こんなに追い詰められたのは久々だ。

文量は結構前に確保できてたんだけど、内容に関して全く納得できなくて。上司の申請書とか他の人の申請書見て、いかに自分が平凡か、こんなにも内容を書けないものかと思って、心底へこんでた。PCの前に座るんだけど全然内容が浮かばなくて。

特に学振の内容って
・これまでの研究内容
・これからの研究内容
に大まかに分かれてるんだけど、前半は、これまで論文化してたり学会発表もしてたから、まぁ書けるんだけど、後半が全く書けなかった。何とか絞り出して書いたんだけど、ボスに言わせたら「借り物のアイディアで構成されててオリジナリティーがうすい」とのことで、まさに納得できてなかったのはそこの部分だったんだよね。俺は他の人に比べてオリジナリティが低いと思ってて、それで苦しみながら書いてたからそのニュアンスが滲み出てた。

でも、ボスは「君の研究は確かにオリジナリティがありますよ。」て言ってて、そこからボスと密に連絡とりながら抜本的に直した。自分しか持ってないデータ・自分しか目をつけてない視点(今考えるとこれ以外にオリジナリティって何があるの?って思う笑)をベースに100%直した。そんな風に直してたら、途中で問題を解決し得る新たなアイディアも産まれた。ボスに相談したら「めっちゃ良いアイディアじゃないですか」震えた。自分のアイディアが認められる嬉しさ。承認欲求が激しく満たされた。
そこからは、(研究室2泊したけど)結構スラスラ書けて、締切ギリギリに提出完了しやした!結局第12版になったかな。もっと早く手を付けるべきだったな。ボスに迷惑を沢山掛けてしまった。改めて、ボスさんすげえわ。文章を改訂するスピード、的確なアドバイス、それでいて他の仕事も確実に進めてるし。こんな凄い人めったにいない。この人の傍にいて、これが普通の基準になる事は絶対有益に働くわ。がんばろ。

んで、何が重なってたかっていうと、福岡にいる母方の祖父が亡くなっちゃったんだよね。末期癌で長くは無いって言われてたけど、5月5日に亡くなってしまって。覚悟はしてたんだけど、やっぱりめちゃくちゃ悲しい。
3月に、緩和病棟に入院してる祖父のお見舞いにいったんだけど、その時はまだ「生きて家に帰りたい」て言ってて、死を受け入れず生きようとしてた。5日の10時くらいに訃報を受けて福岡に向かってる時は「苦しまずに逝けたのかな」「全部受け入れて未練なく逝けたのかな」て思いがずっとグルグルしてた。5日の19時頃に祖父母に家についたら、奥間に顔に白い布がかけられてる祖父の遺体があって、胸が締め付けられた。本当に死んだんだ。
布を取ってご尊顔を拝見したんだけど、その顔が本当に安らかで、満足気で、良かった。最後も、祖母、母、叔母、兄に看取られながら眠るように逝ったらしいし、死ぬ時に未練が無い人なんていないと思うし、良い逝き方だったと思う。周りの人も、そう思ってて、そこまで暗い雰囲気じゃなくて、祖父もうれしいと思う。お酒が好きで、良く笑ってたし。
その後も、夜中とかにじっくり顔を見たり、遺体が腐らない様に一緒に棺に入れてあるドライアイスを入れ替える時に体に触れたりしたんだけど、本当に抜け殻のようで、冷たくて、硬くて。ありきたりだけど死ぬってこういう事かと。入院してから家に帰りたがってた祖父だったから、最後は「家をこの目で見たい」と思ってたんだろうな。Thetaで360°写真とってVRで見せてあげたりすれば良かったなー。緩和病棟も、そういうサービスすれば、評判良いんじゃないか。
孫代表のスピーチもして、普通に大号泣した。でも役者やってたから、最後までしっかり言葉を伝える事はできたぜ。親族からも「良いスピーチだった。思わず涙が出た。」て言って貰えて、祖父の最後を飾る事ができて良かった。

祖父母の家は福岡の田舎にあって、ご近所さんはほとんど親族みたいな感じで、祖父は4人姉妹兄弟で全員ご存命だから、大分大所帯の親族で、ほとんどサマーウォーズ状態。「こちらが西陣のおじいちゃんのとこのヒロ兄で、こちらは櫻木先生のところのなおきくん」みたいな。縁起でもないけど、こういう時にしか親族全員集まらないから、久々に皆の顔を見れた。ほとんど覚えてなかったけど。そんなもんだから、家も立派な昔ながらの作りになってて、いわゆるハレ(非日常)とケ(日常)がしっかり分けられてる昔ながらの日本家屋の作りなのよね。(学部の時に授業で習ったヤツ) その本領が発揮されるのが、今回みたいな冠婚葬祭の時で、日本の文化と建築は有機的に結びついてて非常に機能的だなと思った。沢山の弔問客がいらっしゃるんだけど、玄関から直で奥間(ハレの空間)に行くことができるし、その間俺とか母とかの近い親族は逆側にある台所とか床の間(ケの空間)に待機して、弔問客への御茶菓子を用意したりして、「あぁ~日本のこういう文化は本当に美しいな」と思った。クリステル(高校のOG)も言ってたおもてなし精神ね。そんな家で育ったから母・叔母・祖母は本当にホスピタリティが高い。本当に凄い。
葬式自体も初めてで、色々勉強になったな。四十九日の法要の文化とか全然知らんかった。通夜と葬儀の間に、仏様が寂しくない様に斎場に一緒に泊まったんだけど、夜に、見納めだからと思って棺のとこまで行ったら、祖母が既にいて、胸が締め付けられた。一番寂しいのは祖母だよなあ。これからの広い家に1人かと思うと...。
出棺と、火葬場で送り出す時は涙が止まらなかったなー。収骨は、ショッキングだった。初めて人骨見たし。人って最後はこんな風になってしまうのかと。

5月11日に申請書締め切りだったけど、そんなこんなで5日~9日まで福岡に帰る事になって、その間ほとんど作業できなかったから大分苦しかった。精神的にも、祖父を亡くした悲しみと申請書進まない苦しみで、大分病んでた。でも、孫代表のスピーチも、申請書も満足いくものできたし、1つレベルアップできたと思う。

長文つかれた!!残しておきたかった!!

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