見出し画像

札バン研究所「月光グリーン『蛮勇根性』全曲解析」③

こちら、札バン研究所

札幌を拠点とするバンド、略して札バン。

その音楽を研究する今回は、2003年結成、月光グリーン。

デビュー・アルバム『蛮勇根性』に収録された全12曲の内、9~12曲目を解析する。


#9 それでも生きる道はあるさ

デビューシングルにも収録された、激情ロックナンバーの同テイク。シングルの全曲解析にも少し触れたが、聴けば聴くほど、セクションごとにめまぐるしく変わるアレンジの多彩さに感心する。

日本のミュージシャンには、録音でもライブでも、聴き手を飽きさせないよう、選曲や曲順に神経を配る傾向があると思う。

昔、ブルースが好きで、よくライブを見に行っていた頃。この音楽は殆どの曲が3コードだし、リズムはシャッフル、メロディーも似たようなもので、「どれもおんなじ」と言われがちなジャンルだ。違いはテンポが速いか、遅いかぐらい。後、日本のブルースマンが「小唄」と呼んでいた、ジャズ寄りの小粋なスタイルがあるけど、それを入れてもせいぜい4、5種類。マニア以外は、まあ大体3曲くらいで退屈する。

そのため、日本のバンドはせめてその4、5種類を組み合わせて、似た曲が続かないようセットリストをつくる傾向にあった。しかし、来日したアメリカのブルースマンは、平気で似た曲を連発する。

もっとも、本場のブルースマンはみな自分の最も得意な看板のスタイルがある。バディ・ガイならスローブルースでスクィーズ・ギター、T・ボーン・ウォーカーならジャズ調の洒落たブルース……客は当然それを聴きに来るんだから、その手の曲をたっぷりやるのがファンサービス、という考え方なのだろう。コピーないしカバーで、さまざまなスタイルを演奏する日本のバンドとは事情が違う。

しかし、やはり日本人はホスピタリティに優れていて、それが飽きさせないセットリストにも表れているんじゃないかと思ってしまうのは、五輪招致プレの時、滝クリが行った「おもてなし」のパフォーマンスに未だ洗脳されてるんだろうか。

ともあれ、3ピースのロックバンドは使える楽器が少ないため、アレンジが単調になりがち。だから1曲に、豊富なアイデアと緻密な工夫をたっぷり盛り込んだ月光グリーンには、「おもてなし」の心があると言える。

その精神は最後の最後まで続く。歌は、

 ♪ それでも生きる道はあるさ

の連呼で終わるから、そのままフェイドアウトすれば、音源としては充分なのに、きちっとアウトロをつけているのだ。しかも、Amのコードをかき鳴らしながら、Am7に変化する。ここまでほぼテンションのない和音だけで構成されているので、このセブンスは耳に残る。さらにハナのベースが動いて、ラからソ、ミと下がり、またソ、ラと上がってくる。コードの音を拾っているだけなのだが、不思議にソに下がった時、独特な浮遊感があるのだ。

ライブでのアレンジをそのままパッケージしたのだろうが、最後の最後まで手を抜いていない。


#10 少年の歌

曲調としては、これもアコギでつくった感満載のフォーク。しかし、アップテンポのロックサウンドでぐいぐいと押してくる。

キィーもG。以前、ギターをテーマにした対談か番組で、スタジオに入ってセッティングが済んで、最初にじゃらーんと弾いてみる時、何のコードを弾くか、という話があって、「G」と答えたギタリストが多かった。

しかしライブでテツヤの手元を見ていると、Gの押さえ方が独特だ。普通は3本の指で押さえるのだが、4本使っている。これはビートルズ・マニアならお馴染みの「ビートルG」という押さえ方で、ジョン・レノンの癖らしい。しかし、MCなどで、テツヤがビートルズの話をしていた記憶はないし、もちろんビートルズ世代でもない。なのになぜ、この押さえ方になったのかは不思議だ。

歌詞のテーマは、タイトル通り、少年時代の思い出である。面白いのは、1番が子どもだった頃、2番が大人になったいまを歌っていることだ。これもテツヤの複眼思考のひとつである。希望の歌でも、悲しみを横に見て、悲しい歌でも、希望を横に見ている。過去の郷愁を歌っても、現在に言及しないではいられない。

複眼と言えばもうひとつ、「変わる」「変わらない」の両方に目配りがある。

 ♪ 横断歩道の白線 それだけを踏んで渡ってみよう

   こんなに狭かったかな……オレも大人になったんだ

歩幅の違いで、感覚が「変わる」

しかし、白線だけを踏んで歩く、少年っぽさは「変わらない」

思い出すなー、縁石の上だけを歩くとか、変なルールを設定する一人遊び。実に小学生男子っぽい。

そしてもう一点、重要なのは、これが「少年の歌」であると同時に、「家族の歌」でもあるということだ。

 ♪ 泥だらけ少年は勇ましく 今日の冒険を振り返る

   家に帰ったらまず何から 家族のみんなに話そうか

 ♪ 肩車されて宇宙ひろがる 今日こそ流星を見つけて眠るんだ

今日の出来事を話す「家族」、肩車してくれる「家族」、少年の向こうには、きちんとその家族が存在している。

サビでも、

 ♪ 帰ろうかな 帰ろうかな 帰ろうかな あなたのもとに

と歌っているが、この「あなた」は家族、とりわけ母親だろう。

そしてこの後、3rdアルバムには、まさに「家族の唄」が収録されるのだ。

この歌にも、「ららら」で歌われる歌詞のないパートがある。しかしこれはサビと同じコード進行で、最後にはテツヤが「帰ろうかな 帰ろうかな」と歌うバックで、ハナとチュウと思われるユニゾンで「ららら」がかぶるアレンジだ。月光グリーンが時折聴かせる、コーラスワークが効いている。


#11 あきらめよう

チェスタートンという作家がいて、ブラウン神父を主人公とするミステリーで有名なのだが、その特徴が「逆説」である。

普通に言われること、考えられることとは、逆のことを唱える。すると人は驚き、そんなバカなと反発するが、なぜそうなのかを説明されると、納得してしまう。それが「逆説」だ。

例えば、「木の葉は森に隠せ」という逆説。何かを隠す時には、それが目に触れない場所にするものだが、逆に森という、木の葉だらけの場所に隠した方が、ある特定の一枚を探すのは難しくなると言われると、なるほど! 目からウロコが落ちる。

「あきらめないで頑張ろう」ではなく、「逆説」的に、「あきらめよう」というメッセージが、この曲だ。

むろん、ただ簡単にあきらめるのではない。やるだけやって、それでもどうにもならないんだったら、あきらめる。でも、そんな時、何か新しいドアが開くものだ。少し充電して元気になったら、そのドアを開けてみよう。そうしたら、次の何かが見つかるだろう。そんなメッセージだ。

 ♪  あきらめる事はね 明日への一歩だよ

   気負わず 背負わず 自分をいじめないで

「背負わず」は恐らく「気負わず」から出たのだろうが、いい言葉の選択だ。

そして、歌詞では意図的に「ね」という語尾が多用されている。メロディー的にもそこにアクセントが来ていて、優しく語りかけるニュアンスがうまく表現されている。

イントロがなく、歌から始まるパターンだが、冒頭はなんと、バッキングがベースのみ。なかなか大胆なアレンジである。しかも8分でルートを刻むだけのシンプルさ。ボーカリストとしては、まるでパンツ一丁で人前に出たような気分になりそうだが、ハナの安定した演奏は、そんな頼りなさを感じさせず、きちっと支えている。

このプレイ、簡単なようで難しい。

昔、陣内孝則率いるロッカーズというバンドが、ベーシストの公開オーディションを行った。友人の友人が受けたところ、見事に合格したのだが、そのオーディションでは、ひたすら8分を刻まされたらしい。派手なスラップ奏法とか、そんなものはロッカーズの音楽には不要で、とにかく安定的に8ビートのグルーブを繰り出し、バンドをドライブさせることが求められていたという。

ハナはそのニックネーム「右手残像ベース」が示す通り、めちゃくちゃ速いスラップ奏法がトレードマークだが、もちろんこうした堅実なプレイも出来るのだ。その安心感があるから、ボーカルもパンツ一丁で歌える。この仲間への信頼感は、やっぱバンドだなぁ。

曲は、「少年の歌」に続いて、フォーキー。キィーも同じGだ。

2つ目のコードはCadd9になっている。これはC(ドミソ)の和音に、ドから数えて9番目のレを加えたもの。バラード曲でピアノ伴奏だと、よく使われるコードだが、ギターではあまり登場しない。

しかし、「少年の歌」の項で書いたように、テツヤはGの押さえ方が特殊で、その指の位置からだと、Cadd9に行きやすいのだ。4本で押さえた指の内、2本だけをひょいとずらしてやると、ビートルGからCadd9に移行できる。多分それが手癖になっていて、キィーがGかEmの曲では、Cadd9が頻出する。

ボーカルも、ニックネーム「激情ボーカルギター」が影をひそめ、やさしさに溢れ、胸にしみる。そして最後に、

 ♪ あきらめちゃいけない事がね ひとつある

   それはね あなたの これからの人生だよ

逆説を、さらにもうひとつ逆にした、鮮やかな幕切れ。

バンドの演奏はこの後倍テンにアップし、カントリーパンク的な軽快さで、ギターソロへ。

テツヤのギターソロは、あらかじめ決めておいたフレーズを弾く「書きソロ」が多いと思われるが、ここでは自由にアドリブを楽しんでいるようだ。そしてフェイドアウトして、一旦アルバムは終わる。

後は、アンコールピースを残すばかり。


#12 十六夜の恋

「あ、オッケー」

「じゃあ、行きましょうか」

テツヤの喋りと、指慣らしに弾かれるアコギ。

本番前の一コマから始まるところも、アンコールピースらしい演出だ。曲が終わった後にも、まだ物音が入っていたりして、レコーディング現場にいるかのよう。

録音は多分、楽器も歌も一発録りだろう。チュウが叩くのは、これはカホンだろうか。

しっとりしたラブソングで、またもやキィーはG。美しいメロディーに、月光グリーンのロマンチックな側面がよく出ている。

十六夜は陰暦十六夜の月である。アルバムには「三日月」という歌もあるが、やはりバンド名から「月」にまつわる曲をもうひとつ入れたかったのだろうか。

十六夜には「進もうとして進まないこと。ためらい」という意味もある。おずおずとした、優柔不断な恋が、この言葉に託されている。

しかし、それがもどかしいのではなく、そんな時間を楽しもうとしているような、急がない、焦らない情感が満ちている。

冒頭の歌詞が、とても好きだ。

 ♪ 右側は落ち着かないと 体を移し左手握る

二人で生活していると、何となく立ち位置が決まって、そうじゃないと落ち着かなくなる。そんな暮らしの、あるある感。そのリアリティーが、この歌の生命だと思う。

以上、全12曲。

ここから、月光グリーンの旅は、本格的に始まった。


The end





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?