投票率が20%になったら、どうなるの?
20%でも10%でも、当選は当選?
なんか、ばたばたと衆院選になりますね。
ところで、選挙の度に、投票率の低さが話題(問題?)になります。
あれ、このままどんどん下がって、仮に20%とか10%になっても、やっぱり当選したら政治家になれるんでしょうか? 国民のたったそれだけの意志で、決まっちゃうの? 棄権したんだから文句言うなってこと?
で、調べてみました。
法律の専門家じゃないので、間違っているかも知れませんが、「投票率」に関する規定はないようです。20人に1人、10人に1人の意志であっても、別にオッケーみたい。
いや、いや、でも、さすがに20%になることはないでしょ、と思います?
過去最低は25.38%(千葉県知事選1981年)
おー、かなり来てますね。大分昔の話ですが、20%に迫ってます。
昨年の夏にも地方自治体の首長選があり、各地で「過去最低」が出ました。コロナ禍という特殊事情ではありますが、全体に下降傾向なのは確かなようです。
ちなみに、この1981年の千葉県知事選の後、「さすがにこんな低いのはどうよ?」と疑問に思った議員さんから質問主意書が提出されています。
それによると、「得票率」に関する規定はある(公職選挙法第九十五条)。
有効投票総数の中で、最低でも〇〇%以上を得票してないと、1位でも当選にはならない、という決まりです。この率は国会議員なのか、地方の首長なのか、などで違いがあり、県知事選なんかだと、「有効投票数の1/4以上取らないとダメよ」となっている(第一項第五号)。
でも、「投票率」については何も規定がない。これはいかがなものか。この千葉県知事選では、「県民の代表としての知事が、一〇〇名の内の一二・二名の意思で決定されたということである。
民主主義の基本である選挙において、現在「一票の重さ」が論議されているなかでもあり、最低得票についての規定を定める必要があるのではないだろうか。」
つまり、「得票率」ではなく、「得票数」の最低を決めるということですね。すると自動的に「投票率」も影響してきて、極端に低いと、1位でも当選できなくなる。
しかし、この質問主意書の提案は、どうなったのか?
いまも変わっていないのか、相変わらず投票率が低い、と言われ続けています。
だって、入れたい人がいないんだもん
ですよねー。
候補者のポスターが並んだ、あの、看板? ボード? ざっと眺めても知らないおじさん・おばさんばっかだし。
選挙啓蒙のCMとかじゃ、「投票に行こう」と呼び掛けるだけで、「行ったところでどうすんの? 誰に入れりゃいいの?」には誰も答えてくれない。
で、思うんですが、そもそも、「人」を選ぼうとするから、いけないんじゃないか?
「人」を選ぶんじゃなく、「考え」を選ぶ
だって、ある人物がどんな「人」かなんて、なかなかわかるものじゃない。ごく親しい人だって、もっと言えば自分自身だって、本当にわかっているか怪しいもの。
まして縁もゆかりもない候補者を、ポスター一枚で知るのはとても無理。
だから、参院選なんかだと、タレント候補が乱立しますよね。芸能人やスポーツ選手。これなら、「あ、この人、知ってる」になる。
でも、考えてみれば、本当に知ってるわけじゃない。テレビで見たことがあるから、「知ってる気がしてる」だけ。
何となく、「頭よさそう」「優しそう」「頼もしそう」「真面目そう」なんてイメージだけで選んでるわけです。しかも、そのイメージは虚像。自分たちの代表を「〇〇そう」なんて、あいまいなもんで決めていいのだろうか?
つまり、「どんな人かなんてわからない」んだったら、「人では選ばなければいい」
すると、何で選ぶんでしょう? それは、その候補者の「考え」です。
どんな課題をどう解決したいと「考え」ているのか
結局、当選者とお友だちになるわけじゃないんです。当選者と仕事をするわけでもない。ま、そういう立場の人もいるでしょうけど、でも、大多数の人、特に「入れたい人がいない人」はきっと、当選者と会うこともない人。だから関心がないし、投票しない。
なので、候補者の人柄は関係ない、と言っていい。いっそ、めっちゃ嫌な奴でも構わない。だって、会わないんだから。
それより、大事なのは、自分たちが住んでいるこの場所を、どんな風にしたいのか、いま抱えているいろんな課題を、どんな風に解決しようとしているのか、その「考え」じゃないでしょうか。
いくら、実行力に富んでいるとしても、自分が望まない方向に「実行」されたら意味ないですから。
でも、「日本をどうする?」とか「未来はどうあるべき?」みたいな大きな話だと、漠然としてるし、大体みんな「そりゃそうだよ」ってことしか言わない。
だから、具体的な課題について、どんな「考え」なのかを問う方が早道だと思います。
課題にもいろいろあります。
もしあなたが、既に「この課題が重要。まずはこれをやるべき」と思うものがあるなら、それでいい。
なければ、例えば、自分たちの場所をどう守るか、という点。いわゆる「国防」の問題がありますね。
具体的に言えば、憲法九条の改正の話です。「個別的自衛権」とか「集団的自衛権」とか、やたらむずしい言葉が並ぶけど、要はいま「戦争はしません」と決めているのを、「場合によってはやれる」国にする方が安心なのかどうか、とざっくり捉えてもいいでしょう。
あるいは、エネルギー問題があります。
これも具体的には、原子力発電です。東北の震災で大変な事故が起きたいま、それでもやっぱり原子力っきゃないっしょ、なのか、いやいや自然エネ、再生エネに頑張ってもらいたいなー、なのか。
他にもたくさん課題はあります。日本は課題先進国だそうですから。課題だけは売るほどある。これから労働力不足になるから、移民を受け入れるのかどうか、とか。
ただ大切なのは、「みんながほぼ同じことを言っている課題」はちょっとこの場合の役には立たない、ということです。
「誰もが笑顔な社会をつくる」とか「弱者に優しい社会をつくる」的なことだと、まあ、反対する人もいませんから、これじゃ候補者を絞る助けになりません。
いまだと「コロナ」も大きな問題ですが、これなんかもみんな「しっかり対策をやる」「経済と両立させる」しか言わないでしょう。極端なことを言って、反感買っても損だし。
そうではなくて、複数の意見があるもの、それが簡単にどっちとも言えそうにないもの。
そうした課題について、自分の「考え」に近い候補を選ぶ、ということです。しかも、そうした課題は、コロナのように、収束するまでのもの、ではなく(ま、これも相当時間がかかるという説もあるけど)、かなり長い期間にわたって、解決していかなければならないことです。
一方、選挙だって、一回限りではない。ずっと継続していくわけですから、一旦こうした大きな課題にスタンスを決めておけば、暫く迷わないですむ、というものです。
でも、そんな課題なんて素人には…
って、いう気もしますよね。
専門家でも簡単にどっちと決められなくて、いろんな意見があるんだったら、素人に決められるわけがない。
原子力発電が本当に安全なのか、かと言って再生エネだけで充分やっていけるのか、みんなこんなにいっぱい電気使ってんのに。
詳しいデータも知らないし、科学的なこともわからない。決められない。ってか、決めてほしい、賢い人に。そう思いますよね。
しかし、大きな方針は、やっぱりご主人さまが決めないと、ものごとは動きません。
王様は、方針を決めればいいんです。それを具体的にやるために、困難な問題があれば、それこそ専門家である臣下たちがやり方を考えるんです。
そして民主主義であるいま、ご主人さまは王様でなく「国民」です。その意志を、政治家や役人たち臣下、つまり「公僕」ですね、「みんなのしもべ」さんたちが専門知識を駆使して実現するんです。無茶ぶりだっていいんです。だってそのために、税金から高い給料を払っているんですから。
じゃあ、どうやって自分の「考え」を決めればいいの? いろんな課題について自分で調べるの? 勉強するの? めんどくさいじゃん。第一、そんな暇ないじゃん。
いや、勉強は、したければするに越したことないけど、しなくてもいい。
ただ、自分の胸に訊いてみることです。
どっちがいい? って。
憲法、変えた方がいい? 原子力、やめた方がいい? 移民、受け入れた方がいい?
直観ベースで、いいんじゃないでしょうか。ってか、他にどうしようがある? その上で、自分の感覚に近い候補者を選ぶんです。
しかも、自分の選挙区から立候補した候補者じゃないと投票できないので、彼らに絞ってチェックすればいいのです。
でも、これだと、いわゆるポピュリズムで、深く考えない国民が、直観的なノリだけで、間違った方向に進めてしまう危険もあります。だから、ほんとは、ちゃんと学ぶべきだし、考えるべきなんだけど、とりあえず、「投票率を上げる」を優先するなら、それはまた次のテーマとしておきたいです。
でも、一人ひとりチェックすんの?
最近では、SNSもありますし、候補者によっては活動報告のチラシなどを配って、自分の「考え」を語っている人もいます。
でも、それを読んだり調べたりも面倒と言えば面倒。
それに、自分の選挙区から出馬する人だけでも、地域によってはそこそこの数です。
そんな場合は、「政党」でいきましょう!
結局、どんな立派な「考え」も、現実に実行するには議会で議決されなければいけません。そしてそれは「多数決の論理」です。
だから政治家は、同じ「考え」を持つ人同士で集まってグループをつくります。それが「政党」。大きな政党になると、さらに細かく派閥に分かれますが、そこまではフォローしきれないので、ここでは一旦、無視。
政党としての「考え」が当然あるし、選挙の時にはそれをまとめたマニフェストが出ます。もっとも公約なんて嘘っぱち、という見方もありますが、これもそこまで疑うと先に進まないので、信じることにします。結果を見て、ダメじゃん、この政党、と思ったら、また次の選挙で考えましょう。
それすら面倒なら、マッチングサイトもあります。いくつかの課題について、自分の「考え」を入れていくと、一番近い政党は〇〇党ですって教えてくれますよ。
政党が決まったら
国会議員の選挙だと、同じ政党から複数の候補者が出る場合があります。そしたら、どうする?
せっかく投票するなら、出来るだけ「死に票」にはしたくない。
そこで、ちょっと作戦があります。
まず、前回の同じ選挙の結果が、ネットで簡単にわかります。
得票数の多い順に上からずらっと並んで、あるところまでが当選、そこから下が落選です。
注目ポイントは、その当落線上。
前回の選挙で、かなりいいところまで行ったけど、惜しくも一歩及ばず落選、という候補者が何人かいるはず。その中で、自分の選んだ政党に所属している候補者が今回も再チャレンジしていたら、その人を選ぶと、今回は行ける率が高くなって、自分の票が生きる可能性が高くなると思います。
まあ、結果は保証の限りではありません。
でも、こんな言い方は不謹慎かも知れないけど、そんな風に作戦を練って投票するのも、ゲーム感覚。
最後に
もちろん候補者の中には無所属といって、政党に入っていない方もいます。そうした政治家にも、一定の役割があると思います。決して否定しているわけではありません。
また、個人的にある候補を知っているとか、その人の著書を読んで共感したとか、そういうケースもあるでしょう。であれば、素敵なことです。ぜひ、その候補者に一票を投じてください。
この記事はあくまで、「入れたい人がいない」人が対象です。
入れたい人がいるのなら、それに越したことはない。あるいは何らかのしがらみで、入れざるを得ない人がいるかも知れません。建前上いいことではありませんが、それもまた仕方のないこと。
それより問題は、「入れたい人も入れざるを得ない人もいない」人に、いま「棄権」以外の選択肢がないように見えることではないか。
そんな気がします。
このまま、投票率が下がり続けても、いいのでしょうか?
次の衆院選挙、あなたはどうしますか?
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