森の全一性
『宗教の森が四層からなっているというこは、アニミズムはここまで、シャーマニズムはここまで、民族宗教はここまで、 そして仏教のような世界宗教においてはじめてここの高さに達した、ということであるが、だからといって、そこに至らない中層、下層の宗教は未熟なもの、 中途で挫折した宗教と見なくてもよい。そのすべてが、森林の構成要素であり、それぞれの立地と樹の高さにおいて、森の全体を支えているものだからである。
この森のなかで生きている住民から見ると、足もとにそよぐ草葉のなかの宗教がアニミズムであり、自分の前後にならぶ等身大の宗教がシャーマニズムと民族宗教であり、頭上たかく仰ぐべき宗教が仏教その他なのである。
ところが、現代文明のつくりだした航空機の窓から知的に俯瞰すると、枝をはり、青葉をひろげた大宗教が全地域をおおっているように見える。その下の木々も見えないし、まして地表を這うように生きている下草は見えない。
上からは見えないけれども、人間は森のなかで森とともに生きているのである。
まして、人間ならぬ他の生きものについてはどうだろう。 ワシは巨木の樹冠に巣をつくらなくてはならないし、ヘビは中、下層のくねくねと幹の曲った木と親しみ、虫やアリにとっては地表にふりつもった落ち葉こそ唯一の住み家なのである。サソリにとっては半ば朽ちようとする倒木の樹皮の内側が恰好のかくれ場所なのである。
文字どおり、森は生きている、森が全体として生きていたのである。』
「アニミズム時代」(岩田慶治)
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