見出し画像

僕達はマンガという窓からキャラクターを覗いている…のかもしれない

最近ふとバチコリとパズルのピースがハマったような。そんな感覚がありました。

ずっともやもやしていた、言語化出来なかったことが、言語化出来たようなしっくりさみたいなものがあったので、その話をしていこうと思います。

物語や原作という考え方に縛られすぎていたのかもしれない

マンガの価値を考えた時に、一体何でその価値を測るのが良いのか?
そんな疑問をここ最近、ぐるぐる考えていました。単行本の実売数だけで測るにはいささか極端すぎるかもしれない。例えば、マンガの中のキャラクターをグッズ化したり、マンガのストーリーをそのままアニメ化したり、実写映画化したり。『マンガ原作』は一次創作を作るための、物語を紡ぐための、最小コストの表現方法だと思います。

そう考えると、マンガの中で表現される創作世界が、原作の起源でありオリジナルであるように思えるのですが、僕はそこに違和感を感じていたんです。

もしかしてマンガは、創作世界とその世界に生きるキャラクターを覗き見るための窓。
その窓のひとつに過ぎないのではないか?そう思い始めてます。

マンガ原作でもアニメ原作でもゲームが原作でも良い。
人が想像した架空の世界。創作世界とその中に生きるキャラクターが、まずあって。それをマンガ、アニメといった窓から覗き込んでいるような感覚。

箱に例えると、箱の中に創作世界があって、そこにキャラクターが暮らしている。その箱の窓が、マンガやアニメ。窓によって、静止画に見えたり、動画として動いていたりする。

そういうイメージで考えると、創作世界を包む壁、箱で言うところの外壁は一体何なのか?

僕は、メディアだと思うんです。

単行本や雑誌、はたまたマンガアプリやTwitter、YouTube等のSNS、そして動画配信系のプラットフォーム。それらの外壁の種類ごとに、単行本だったら静止画のマンガ形式で見える窓が設置され、YouTubeだったら動画形式のアニメ形式で見える窓が設置される。

創作世界とその中に暮らすキャラクターは、メディアの中に存在し、マンガやアニメといった窓を通して、現実世界にいる我々は覗き込むことができる。

そう考えると、マンガやアニメは単なる世界を覗き込むための形式に過ぎないのかもしれません。

メディアによって見せる物語を変えた方がいい

メディア毎にどういった人が居るのか、その属性は異なります。通勤中だったり帰宅途中かもしれない。トイレだったりお風呂だったり。もしくはベッドでゆったりしているかもしれない。メディア毎に見ている人は異なるし、見ている状況も人それぞれ。

創作世界を作る我々としては、どのメディアにおいても、どんな状況だったり人であっても、多くの人に見てもらいたいし、長く見て欲しい。そこで出来ることは何か?

メディア毎に最適な形式で見せる事は、絶対に必要だと思います。YouTubeにA6判の原稿をドンと置いても見られるわけがない。コマを大きくしたり、スライドショーにしたり、声を付けたりといった工夫が必要なんです。

一方で、もう一段上の話で。
僕はメディアによって見せる物語の内容を変えた方がいいと思ってます。

『創作世界』と『その中のキャラクター』と、これまで言ってきましたが、『物語』を使わなかった理由がココにあります。『鬼滅の刃』であれば、炭治郎が鬼を倒し妹を人間に戻す『物語』。ですが、この物語は、単行本や映画で見るには最適だけれど、Twitter等のほんの少しの時間しかみないメディアにとっては相性が悪い。だからこそ、Twitterでも見られる事を望むのであれば、4ページで収まる『物語』を作った方が良いのです。

箱の例えを使うのであれば、メディアからマンガという窓を通して、創作世界とそこに生きるキャラの物語を見ている。単行本で見るならば、1話2話3話というように連続性の物語であるほど、のめり込みやすい。しかし、SNSにおいては、非連続なオムニバスで、かつ4ページと短かいインスタントな物語が求められます。そういうイメージ。

2018年頃、Twitterにマンガ1話をいっぺんに載せる事が流行りました。その中で、よりTwitterに特化されたマンガは、「単行本だと売れない」「一発屋」というように揶揄されてきましたが、僕はそれにずっと違和感を感じていました。

このバズっているマンガは確かに4ページだと一発屋に見えるかもしれない。けれど、このマンガの中に生きるキャラや世界は、10巻くらいの単行本で連続性のあるストーリーにしたら面白いかもしれない…。これとは逆に、バズっていないあっちのマンガはこのキャラだけで4ページのマンガを書けばきっとバズるのに…と、そんな事をずっと考えていました。

これからは世界とその中のキャラが求められるのでは、ないだろうか?

創作世界を創造する我々が、最小のコストで創作世界とその中に生きるキャラと、窓を作るとしたらTwitterに投稿する4ページマンガが最適なのは間違いないです。

その上で、より多くの人に見てもらうためには、連続性のある物語をみせるのか、それとも非連続な物語を見せるのか。どこに窓を置いて、形式はどうするのか。そういった事を考える事で、幅広くメディア展開できる『原作』が生まれるんだと思います。

さいごに

ここまで読んでいただいてありがとうございます!抽象的な概念の話で、まとまりがなく、拙い文章を読んでいただいてとても嬉しいです!

どなたかが共感してくれると嬉しいな…と思って頑張って書きました。こんな捉え方をしている人もいるんだな〜くらいに思ってもらえたら幸せです。

また、こちらの記事は僕の運営しているオンラインサロンで投稿した内容をリメイクしたものになります。興味のある方はコチラの記事からどうぞ👇

参加を検討されていたり、質問事項がある方は、TwitterのDMを開放しておりますので、お気軽にお問い合わせください!

それでは、また!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?