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【にほんご日誌(23/3/1)】学ぶ言葉に上下はないのだ

今日のレッスンでは、たまたま日常生活で使う言葉について考える機会があった。

最初のMさんとのレッスンでは、Mさんの希望で調理器具の日本語の読み方と、使うシーンについて話した。

Mさんはこの4月から、関西にある大学院で社会学を学ぶことになっている。中国の大学を卒業後、日本の企業に就職し、千葉県に住んで仕事を続けている女性だ。

Mさんは「自分の部屋を大切にしたいので」と言って、Skypeの画面越しに、購入したばかりの一人暮らしのノウハウを集めた本を見せてくれた。

その中で彼女が「これを勉強したいんです」と示したのが、調理器具をイラストと簡単なキャプションで紹介しているページだった。

「ボウル」「ざる」「お玉」「フライ返し」「ピーラー」……。どれもありふれた、日本の家庭の台所になら、とくに意識することなくそろっている調理器具だ。

ところがMさんは、そのほとんどを知らなかったのだ。日本で生活して3年。日本語は、仕事でも日常生活でも使っているにもかかわらず。

こんなとき、「なるほど!」とピンとくるのが日本語教師だろう。こんな絶好の生教材が使えるチャンスがタナボタのように現れるなんて、こんなラッキーなことはない。

私はレッスンのために用意していた文法教材を措いて、Webで画像を検索し、使用場面を説明しながら日本語の会話をすすめていった。

Mさんはとても喜んでくれた。「自分の部屋を大切にしたいので」その本を買ったというMさん。新生活への期待と希望が、さらにふくらんでいくように感じられた。


次のレッスンは、中国地方の都市で研究職に就いているSさんとの会話レッスンだった。

Sさんは日本の大学院に留学し、日本の企業で仕事をしている。まだ若いが、3歳の娘さんのママでもある。

Sさんは「花粉症で調子が悪くて」と言いながらのレッスンになったが、そこから、娘さんがおなかをこわして病院にかかったときの話になった。

Sさんは医師に症状を伝えるときの言い方がよくわからなかったことに戸惑い、今後についての不安を感じているようだった。

「娘が嘔吐があったので」「嘔吐物があって」とちょっとかたい漢語を使ったり、「呼吸が……」「鼻が……」と言って言いよどむこともしばしばだった。「呼吸が浅くなる」「鼻がつまる」という表現に慣れていないためだ。

「『嘔吐』という言葉を使うよりも、『娘が“吐いて”しまって』と言えばいいですよ。『吐いて』に、失敗したときや残念な気持ち、後悔する気持ちを表す“~てしまう”を付ければ、お医者さんにSさんの気持ちが伝わりやすくなります」

日本語のレッスンとしては、そんなことも付け加えながら、症状の表し方を説明した。

レッスンが終わるとき、Sさんはなにげなく「難しい言葉をもっと勉強しなければと思っていましたが、そういうことではないんですね」と言った。

本当にその通りだ。

Mさんも、Sさんも、高い教育を受け、立派に仕事をこなす社会人だ。だから、言語のレッスンでは、より難しい言葉、より複雑な構造の文法表現を学ぶことをめざすべき目標のように(とくに意識していなくても)思うこともあるだろう。

それは、私にとっても同じだ。次のレベル、もっと高いレベルに向けてサポートすることが大切なことのように思っている部分もあると思う。

しかし、人が生きていくために必要な言葉や、その人の生活で、今学ぶべき言葉があることも確かなことだ。

MさんとSさんのレッスンが、たまたま同じ日に続いていたことは不思議だが、私にとっては、大切な観点を改めて心に刻む機会となった。

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