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私たちは悩みや不安を抱えているのではなく、「大人の宿題」を解いているのかもしれない。

「学生時代の宿題」と「大人の宿題」

思い返せば
学生の時、学校や塾から「宿題」が出され
テキストの問題集を解いたり、作文を書いていた。


そして
社会人になった今も、「大人の宿題」を解いているんだと思う。

ただ、
同じ「宿題」でも、学生時代と社会人では
違う点がある。
それは、学生の宿題は先生から「与えられるもの」だったのに対し、
大人の宿題は「与えられるものではない」ということ。

「お題」が与えられるのではなく、
自ら考え「課題」を見つける
その課題を解決するために
勉強したり、振り返ったりしていく。
そうやって、解き方を考え、解いていく。


「課題」を抱えているのではなく
「課題」を解きに行っている。

一方で学生時代と社会人の「宿題」で同じ点は
課題を解く」ということ。
もちろん、子供の時と完全に同じものではない。
なぜなら、社会に出てからの問題は、
「正解の無い課題」が多いから。

けれど、学生でも社会人でも同じなのは
取り組み始めた当初は「解き方が分からない」
ということじゃないだろうか。

そんな
分からない問い」に向き合う必要性は
変わらない。

そう思ったら、あの時の延長線上に、
今、いるのかもしれない。

生きていれば、誰もが
悩みや難しさ、不安を抱えていると思う。

けれど
悩みや不安を抱えているのではなく

今、「大人の宿題」を解こうと、神様からの課題に立ち向かっているんだ!

そんな風に思ったら、少し肩の荷が降りて
もっと前向きに取り組める、

そんな気がするんだ。

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