自論展開

 修学旅行にて、決められたお小遣いを超える額を持ってくるのはアリか、ナシか。そんな議論をしているTikTokの動画を見た。結局議論は平行線で終わった。
 幼稚園くらいから高校までこういった誰が決めたのか分からないルールの中で生きてきた。国が決めたルールを法律と呼ぶ。本来はこの中で生きていればなんら問題は無い。しかし学生というのはこの謎ルールの中で生きなければならず、もっと言えば法律よりも校則の方が偉大で重要な法と感じていた気もする。
 前置きが長くなりましたが、今日の持論は「校則で縛ることの利点」です。個人的な見解であるが、校則とは学校ごとに決まっている独自のルールであるが、そこに倫理的なルールなどはなく、あくまで教員の負担を減らすために、その学校の生徒の質などを教育委員会と擦り合わせ、その上で作られたルールだと思っている。他にも私立の学校であれば伝統を崩したくないなどという古い考えのもと残っている理不尽な校則もあるかもしれない。
 学生時代、校則を守らない人たちを見たことがあると思う。どう感じただろうか。世間一般的に言えば守らない=悪と捉えられただろう。先生にも怒られるし。故に校則という側面から学生を見た時に二分化されるであろう。校則を守るいい子ちゃんと守らない悪ガキ。あなたはどっちであっただろう。時は進み、大学、社会人になる。ルールをしっかりと守ってきた人たちはまだ守っているだろうか。
 私の考えは二分化ではなく、四分化である。ルールをただ遵守する人、みんな守っているから守る人、何が何でも守らない人、変な信念から守らない人。比率でいうと1:7:1:1くらいだと感じている。何が何でも守らない人というのが1番わかりやすく、俗に言うヤンキーというものだろう。私が今日語りたいのは「みんな守っているから守る人」についてである。これがどう将来にいきてくるのか。
 私の実体験を話すと、私自身は「変な信念から校則を守らない人」であった。法律上、倫理観から考えて世間でやってもなんら問題ないことならいくら校則で禁止されてるとはいえ、理屈が通らないだろと考えていたので、そのような校則は守らなかった。実例を挙げると、ワックスをつけるの禁止という校則。実際の社会では整髪料をつけていない方がだらしないと思われるのに、なぜ?と中学の時思った記憶がある。ここで踏みとどまれず私はワックスをつけて登校していた。こういう社会通念とは逆のルールが多々あった。
 ではこれらを嫌々ながら守ってきた人間はどう得をしているのか。それはルールを守ったことによる利益よりも「みんながやっていたから」が一番関係してくる。校則とは人格形成に直接作用するものでも、安全を保つものでもなくて、集団心理の大切さを教えてくれるものなのだと思う。だから今の私はもし中高生にアドバイスできる機会があるとするなら守れ、と言うだろう。そう、私はこの集団心理を読めないからだ。
 中学生という大人になりそうな時期にこのような集団心理を叩き込むことでいい意味で自我が無くなると考えている。極論ではあると思うが、これをすることで選択肢が増えすぎないということがあるからだ。この選択肢が増えすぎないというところにポイントがあって、大人になるにつれて考える事が増えていくのだが、集団心理、同調圧力があれば流されるだけで思考を捨ててそっちにいけばその事を考える手間が省けるのだ。これこそが人間の社会性なのである。いかにして考えるタスクを減らすか、その練習が校則で縛ることなのかもしれない。もちろん学校側はそんな意図は無いと思うが…

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