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善い人と悪い人

ぼくは世の中に『悪人』はいないと感じています。

別に性善説を唱えるわけでもないですし、犯罪を犯した人は悪い人だと思っています。(矛盾していますが……)

正確に言えば、「この世の中にぼくにとって『悪人』はいない」と考えているのです。

▼悪い人にされてきたこと

ぼくは今までの経験の中で何度か
「武藤が悪い」
ですとか
「おまえのやり方は悪い。」
ですとか
「おまえのせいだ」
と言われてきた事があります。

確かに仕事に失敗したり、何かの約束を守る事ができなかったことがありましたが……その都度、”悪さ”をしようなどと思った事はありません。

もちろん、ぼくも人間ですから……誰かに悪戯をしようと思った事はありますし、そうした心から実際に悪戯もたくさんしてきました。

しかしながら……誰かを困らせてわざと失敗しようとしたりはしてきたことはありません。

ですが……やっぱり、その組織の中で……『悪人』にされてしまうことはありました。

▼迷惑を被ること

逆に他人のせいにしたことも数多くあります。
口に出したこと、出さなかったこと含めて……
「これはあいつのせいだ。」
「あいつの仕業だ。」
「仕事してねーじゃねーか」
などなど……

実際にこういうことを考える時は『迷惑を被った』と感じた時なのですが――冷静になっている今から考えると――ぼくが迷惑を被ったと思っている事柄について、特定の誰かは原因であることはあるかもしれません。
しかしながら、その人にはその人の信念や考え方があったからと思うようになりました。

ぼく自身が誰かに『所為』だ、と言われた時に、『悪さをしよう』と思っていなかったように。

実際に”悪さ”をしようと思って動いた時というのは……相手や事柄に対して『消えてほしいなぁ』とか『刺し違えても』という気持ちがある時ではないかな、と思っています。

▼合うか合わないか

こうしたことを考えると……
「この世の中にぼくにとって『悪人』はいない」
と考えるようになりました。

ただ。
やっぱり、
『合う』人と『合わない』人がいるなぁ~とは思っています。

一緒に仕事をしている方々、友人、劇団の仲間、家族もそうですが……
ぼくにとっては『合う』人々です。
だからといって、彼ら彼女たちのすべてがすべて、”合う”のかと言えば、そうではありません。

意見が合わない事もしょっちゅうありますし、
議論を重ねることもあります。
「んだよ、ムカつくやつだ」
と思う事もあったりします。

しかしながら、基盤の部分では『合う』のです。
これは感覚的なものかもしれませんし、今までの経験がそう感じさせるのかもしれません。

反対に『合わない』人は思想や考え、「すごいな」と思ったとしてもとことん合いません。
もちろん、彼女彼らは『悪人』ではありませんが……やはりどこか――ぼくとは合わないのです。

▼あいつは悪い人間だ

こういった思いからぼくは他人と話している時に
「あいつは悪い人間だ」
とは言いません。

人間は完璧ではありませんから、”ある人”にとって良い事もすれば同じ人によって悪い事、不利益になってしまうこともあると思っています。

一人の人間に良い部分も悪い部分もある、当たり前ですがそういうに考えています。

ですので――犯罪者以外は――「あいつは『悪人』だ」とか「悪者だ」とかいうように考えませんし、言わないようにしています。

例えば、政治家や権力者のイメージとして
「悪い事をしていそうだ」
というのがあると思います。

もちろん、悪い事をしている人もいるでしょうし、単にイメージだけ先行している場合もあると思っています。
(政治家は多少お金に執着(ダーティ)していても、仕事(国民と国家の為の)をきちんとしてくれていたば良い、と考えています。
これはまったく別の話ですのでまたいつかnoteに書きたいと思います。)

権力者だから「悪い事をしてきたはずだ」とか「特権で悪さを見逃してもらっている」というイメージの先行は非常に危険だと感じています。

確かに。
”上級国民”というような人々がいて、何かしらの特権があるかもしれません。
しかし、すべての権力者がそうだ、とは限らないと思っています。
十把一絡げに見てしまうと物事の判断が鈍ってしまうなぁ、とぼくは考えています。

権力者が悪さをしているかどうかということもそうですが……仕事をしているかが重要なのだと思っています。

閑話休題。
権力者に限らず、SNSで見る人々、交流のある人、友人、知り合い、仲間、家族……
ぼくにとって悪い人はおらず、”合わない”人がいるだけだと感じているのです。

▼犯罪者は悪人か。

では犯罪を犯した人は悪人ではないのか。
こう考えますと、犯罪者は『悪人』であると思っています。

矛盾しています。
やはり、「法で決められた事」を破り、犯す、ということは『悪人』であると感じています。

つまり、重大犯罪から軽微な犯罪も含めて……『知っててやっちまう』というは『悪人』でありますし、ぼくとは『合わない』と強く感じています。

だとしたら……
なぜ
「この世の中にぼくにとって『悪人』はいない」
というのか。

ぼくには人を裁く権利がありません。
ぼく自身、法を正確に守れているかと言えば……そうでない時も多くあります。(道交法などで)
そして、重大犯罪を犯した人に対する憎しみや怒りは人並みにあるつもりです。

矛盾した考え方ではありますが……
それでも、ぼくの周りの人、関わっている、関わってきた人々を『悪人』と捉えたくはないですし、彼ら彼女たち、誰一人として
ぼくやぼくの家族、仲間、友人を『困らせてやろう』と考えているとはどうしても思えないのです。

ですので、ぼくは「この世の中にぼくにとって『悪人』はいない」と考えているのです。

▼ぼくは悪人か

では……ぼくは周りの人々、仕事をともにしていもらっている方々、友人、仲間、家族から『悪人』と思われていないか……

自己判断すれば――
ぼくはどうしようもない人間ですから、
”悪者”と思われている事もあるでしょうし、
”いい奴”だ、と思われているかもしれません。

ただ、ぼくがこれから先の生き方として……
ぼくの周りの人には”悪人”と思われないように振舞っていきたいのです。

合う合わないはあるにしろ……
善いか悪いかだけで判断する事のないようにして参ります。
合わなかったとしても……やはり、『善い・悪い』という二元論で視野を狭めることのないようにしていきたいのです。


舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!